winter's scarecrow

ひかり

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人の感受性は、光に大きな影響を受けている。
温度の変化よりも、光の射してくる角度、光の色の変化を瞳が察知し、
季節の動きを脳が感じるという。
季節や自然を謳う詩歌は、季節の只中よりも光が変わる時期に詠まれることが多い。
人との出逢い、そして育み、季節の変わり目で心の温度に変化が起こるのかもしれない。

秋めいた空、やがて空はより青く澄み、波長の長い赤は地表で鮮やかになる。
モノクロームの冬の直前に見せる、色の鮮やかな変化、この空も秋へ向けての光の絵巻に感じる。

今日、アフガニスタンで選挙が行われた。 タリバンの善し悪し以前にイスラムの部族社会に
欧米型のデモクラシーなんて定着するはずがないというところから考えてほしい。

大好きな桃の季節が終わり、梨、ぶどう、紅玉の季節がくる。
美味しいきのこも食べられる。

写真はベランダからのショットです。 富士山も澄んだ日にはくっきりと見れます。
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# by w-scarecrow | 2009-08-20 20:17 | | Comments(6)

金魚

" 残暑 お見舞い申し上げます "
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恵比寿三越であんみつを買おうとしたら、棚の上で金魚が泳いでいるのを見た。
宗家・源吉兆庵の金魚。

本郷の菊坂通りを右手に入ると金魚坂という細い坂、
創業から350年つづいている金魚・錦鯉の卸し問屋さんがある。
「金魚、見させてください」と言えば自由に見させてもらえる。
坂をのぼりきったところに"金魚坂"という喫茶と食事のできる店がある。
中国茶、紅茶も飲める。
暑い夏、涼をとるには金魚観察もよいかもしれない。

「飛ぶ夢を見たくて夜の金魚たち」 黛まどか(17文字の詩より)
金魚は観賞用に人工的に作られた魚。
狭い鉢の中を一日中、鮮やかな体を翻しくるくると廻っている。
夜もふけた頃、金魚も眠りにつくだろう。
きっと、狭い鉢から飛び出し広い広い空を鳥のように飛ぶ夢を見ているのかもしれない。

朝から真青な空が広がっている。 こんな日はRy CooderのGoin' Back to Okinawaを聴きながら
空に浮かぶ雲の数でも数えることにしよう。
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# by w-scarecrow | 2009-08-16 10:01 | 食 + うつわ | Comments(8)

冬に咲いた花なのに・・

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「これからシビヤに行くけど、一緒に行くか」
「・・行く!」
亡父はもちろん、「ひ」を「し」としか発音できなかった。
シビヤ=日比谷のときは皇居、 シヴィヤ=渋谷のときがデパートの食堂でオムライスが食べられた。

皇居から帰るときは有楽町のガード下で、ぬる燗をチビチビと呑みながら、
小さな末息子が焼鳥を頬ばって食べている姿を嬉しそうに眺めていた。

年をとってから授かった子供なので、兄弟のなかでも親といらる時間が少ない。
いつもスタスタと足速に歩く父の後姿を、小走りに追うのに子供ながら息を切らした。
手をつなぐことはしなかった。
おかげで駅で2度も迷子になり駅員室で待たされた。

8月15日、64度目の終戦記念日である。
あの戦争中、ずっと戦禍の中、軍服の胸に収めていたであろう軍隊手帳。

父は近衛騎兵隊に入隊した。 背が高かったのも騎兵隊に配属された理由の一つ。
天皇陛下、皇族を守る軍隊、中国大陸で落城した街に騎兵隊に先導され皇族が入城する。
馬に乗り長いサーベルをさした写真が何枚かある。

戦争の話は殆どしたことがない。
大陸へと出征するときに、どこで知ったのか芸者となり勘当された実姉が、万歳を三唱している品川駅の軍用列車のホームで、父に向かって大きく手を振っている姿を見つけ、最後だと覚悟をしたらしい。
召集がくる前に勤めていた小さな商社、そこで酒、醤油、味噌の仕入れの仕事をしていたらしく、そのときに汽車に乗って会津や宮城、新潟の酒造元を訪ねていく旅の話を楽しそうに話していた。

20代という人生の中でもっとも輝く時を奪われた。
父だけではなく多くの人の青春が奪われ、散った。

昭和天皇が崩御された2ヶ月後、父は逝った。
高校時代、戦争と天皇について何度か父に絡んだ。 答えはもらえなかった。
天皇を守る近衛の最後の使命をあの時、終えたのかもしれない。
 
「人を殴ったらいけないぞ、そいつにもいつも心配している親御さんがいるんだ、だから殴っちゃ駄目だ」といつも言っていた。
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# by w-scarecrow | 2009-08-14 19:39 | my back pages | Comments(4)

林正太郎 『志野湯呑』

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志野は白い焼物。 日本人が長年抱いてきた夢。
中国の白磁という夢の焼物に想いを馳せ、16世紀に末、志野が生まれ、白という色を本当の意味で実現した。
さらに鉄絵といわれる下絵付きの焼物、長石釉という白みを帯びた一種の透明釉と美濃の白い土があわさることで可能となった。
[写真右]林正太郎さんの【鼠志野】、500年前の美濃の陶工が白い素地に絵を描くという画期的な作風を生みだすや、今度はそれを反転してみせた。
林正太郎さんは絵を描くというよりデザインされたような今を感じるかわいらしい湯呑である。


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綿菓子のような【志野湯呑】
白磁のような均一性をもたず白さも劣るというマイナス点が、茶陶の志野ではその抽象性を重んじるという、日本人独特の美学がそれを支えていった。


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【鼠志野湯呑】
                          林正太郎
                          1947年 岐阜県土岐生まれ
                                  兄の林孝太郎氏に師事
                          1974年 独立
                                朝日陶芸展では2度の最高賞と優秀賞を受賞する
                                他、数々の賞を受賞
                          2002年 土岐市無形文化財保持者となる


林正太郎さんのうつわを愛する人が多い。 伝統の中に林さんのやわらかさ、精密さ、鋭さ、現代的な感性が包含されている。 

今朝、5時7分に皆と一緒に目覚めた。
静岡に住む旧友のS君にすぐ電話をしよう思ったが、阪神大震災の混乱している町や人々の姿や倒れた高速道路の画が頭に浮かび躊躇した。
TVをずっと見つめていたら、地震の後にもかかわらずコンビニで買い物をしている客がいた。
とりあえず胸を撫でおろす。
S君のことだから、余震があることを想定して買い出しに行ったかもしれない。
黒い(灰色)はんぺんの入った静岡のおでんも買っているかもしれない。
台風と地震が重なった。 まだまだ余震と土砂崩れが心配だ。
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# by w-scarecrow | 2009-08-11 19:32 | うつわ | Comments(5)

originality

”梅干はその日の難のがれ”
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"甘さひかえめ"の食品と、甘みのあるものへと改良されてきた農作物。
目をつむって振り返るとトマトはもっと酸っぱかったし、大根はもっと辛みがあった。
キュウリはもっと青い味がした。
トウモロコシもトマトも今やフルーツの域に入ってきた。
いつの日か千疋屋のトウモロコシや玉葱がお中元に届く日がくるかもしれない。

アクがない野菜、においのない納豆などクセのないものへと変化している。
りんごは紅玉のあの酸っぱさが大好きだ。
梅干もハチミツ漬けや、鰹や昆布の磯のかおりのするものが売れているらしい。
私は酸っぱ~い梅干が食べたい、プンプンにおいのする納豆が食べたい!

果肉の厚い南高梅、白干梅はふっくらとして美味しかったが塩分10~12%はちょっと塩からかった。
一個の梅干でご飯一膳、軽く食べられてしまう。
梅干はここのが美味しいというところが見つからず毎年、違う店や農園のものを取り寄せている。
地に根ざした「酸っぱくて旨~い」白干梅があったら是非、教えてください!
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日常生活、食生活の改善、酢の物が苦手で率先して食べることも買うこともしなかった。
らっきょうはさほど苦手ではないので、一日三粒食べることにした。
生野菜はコンビニの一人前の小さなパックのものを買っている。 ちょうどいい量。
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先週、いただいた和歌山の桃。
野菜室を開けると桃の香りが部屋中に広がる、この上ない幸せ。
「生きててよかった」と想える瞬間。

高校野球が始まった。 スポーツ番組をこよなく愛する実家の母も私も、この時期はTVの前から動かない。
「あの試合の始まりと終わりのサイレン、解っていても空襲警報を想いだして、ドキッとしてしまう」
もし、高野連の方がこのブログを偶然開いたならば是非、サイレンではなく柴又帝釈天の鐘かニコライ堂の鐘の音に変えてください。
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# by w-scarecrow | 2009-08-08 20:56 | 食 + うつわ | Comments(6)

睡蓮

朝一番で深大寺と植物園に行ってきました。
お昼は蕎麦を食べたい、だったら森林浴+蕎麦で深大寺に決めた。
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熱帯スイレン。 名前を調べたら2通りの名前があったので"スイレン"にします。
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大きな池にスイレンが夏の陽を浴びて浮かんでいる。
本当は小雨か曇りの日の方が情緒があって映えるのだけど・・。
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ハチのホバリング。
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温室へ行ってみた。 南洋のカラフルな花ばかり。
艶やかな深紅の花。 赤が好きなので見とれてしまいました。
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なんか、美味しそうですね。
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組み紐の先っぽみたいな花。 神社が似合う。
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帰りに道端に咲いてた、小っさな花。 

まだまだ、撮ってきたのですが長~くなってしまうので・・。
11時半前には深大寺そばの"多聞"へ、多聞そばという屋号の蕎麦を注文。 すでに混んでいた。
汗が引いてきた。 主張のある食感の蕎麦で旨かった。 
お客さんの何人かは生ビールを呑んでいた。 私は酒好きだが昼間は呑めない。
昼下がりの蕎麦屋で洒落たお爺さんが天ざるの天ぷらを肴に清酒を呑んでいる姿は好きだ。

かつてはヤンチャだったすぐ上の兄(三男)と久しぶりに会った。
「ちょっと相談があって・・」 
小さい頃は隣町の不良たちが攻めてくるから泥団子をいっぱい作っておけ!と命令ばかりしていた。
二十代中頃、青学の前におでんの屋台が出ていて、そこに入ったら偶然、兄貴が部下と呑んでいた。
久しぶりに弟と会えたのが嬉しいらしく、隣にいた見知らぬお姉さんに「あっちにいるのが俺の弟で、悪いけど奴と付き合ってやってくれないか」と掌を合わせてお願いしていた。
そんな兄貴が相談?
仕事がらみの相談なんでホッとした。 兄弟でも2人で会うと気恥かしい。
「じゃあね」と別れて、去っていく私を見送っているのを感じた。
同じことを考えているような気がした。 「だんだんと兄弟、似てきたな」
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深大寺参道から横に入った路、この先の"多聞"がある。 平日のためか人通りが少なかった。
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# by w-scarecrow | 2009-08-05 20:09 | 散歩 | Comments(10)

吉野 日干番茶

8月になった。 昨日、今日と東京は涼しく、そうめんもスイカもトウモロコシもかき氷も
まだ先の季節の食べ物のように感じる。
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奈良県吉野の『嘉兵衛番茶』
京番茶、岡山の美作番茶、福井の陰干番茶。
京都・一保堂の『いり番茶』は以前に飲んだことがある。
吉野日干番茶より、茎の部分が多かったような記憶がある。 でも美味しかった。
いり番茶の販売を止めたと聞いたことがあるが、一保堂のonline shopを見たら200g ¥368で販売をしていた。 安~い。

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嘉兵衛番茶、茶葉は落葉みたいだ。
大きな一枚の葉がそのまま入っていたりする。
香ばしくて、全くクセのない番茶。
朝、起きて「今日はガンバルぞ~」というとき(滅多にないが)にはこの番茶がいい。
自然と躰の中の毒素が抜け、芯から活力が湧いてくるような気がする。
血糖値降下、利尿の効能によく、体質を改善するにはもってこいかもしれない。
「花も十八、番茶も出花」まだまだ余地はある。

この番茶を冷やして焼酎と割ったらすごく旨く、つい呑み過ぎてしまったが、次の日には残らなかった。
烏龍茶割りは胃弱な人間にはきつい。

白洲正子が箸は吉野の赤松の箸が一番、口に合うと言っていた。
吉野の桜、葛、柿の葉寿司、鮎、昔から訪ねてみたいところ。
日本一の長距離を走るバスにも乗ってみたい。
奈良八木駅から十津川村を通り、和歌山県の新宮まで160km走る。

美作、福井県勝山の番茶もいつか飲んでみたい。
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以前、宮崎でドラマを撮ったときに準主役をやっくれたMからの芝居の公演の案内がきた。
私は演劇が苦手、どうしても入っていけない、自分が裏方でも端役でも参加するのだったら、この上なく楽しいと想うのだが、観劇は一歩引いてしまう。
なんと言い訳(断り)をするか、役者さんたちから案内状が届くたびに困ってしまう。

演出家の平田オリザさんは大阪大学で弁護士や医者の卵に演劇を教えているらしい。
オリザさんの話にウ~ンと納得した。
「芸術といえば、日本では音楽と美術しか重きを置かない。欧州で芸術といえばまず演劇、そして音楽、美術とくる。演劇は対人関係やコミュニケーションを学ぶには絶好の場なのに、日本人はそのことを政治家も経営者も教育者も知らない。
『めし、フロ、寝る』と必要最低限の会話しか交わさない疎遠な夫婦は、無駄な話をいっぱいしなければいけない、天気の話、プロ野球の話、町の噂話、週刊誌ネタ、食べ物の話題など、どうでもよい話こそ人間関係を作ってゆく」

保育園や幼稚園の発表会には必ずお絵描きと歌と踊りと演劇があった。
小学校へ上がると演劇だけはスッポリと外されていた。

私もほとんどが無駄な、実のない話ししかしていない。 おかげで飲み屋さんとの人間関係は良好。
陽が落ちてきた、そろそろ行ってきます。
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# by w-scarecrow | 2009-08-01 18:20 | tea | Comments(6)

雨降りお月さん

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1956年の渋谷駅前。(撮影:長野重一)

写真の左上へ行くと道玄坂。
道玄坂をのぼったところに与謝野晶子、鉄幹夫妻の住居跡に歌碑がある。
明治34年、晶子はこの地で『みだれ髪』を書きあげている。

道玄坂をのぼってすぐ右に"恋文横丁"があった。
駐留軍の兵士に送る恋文を英語で代筆する露天が何軒かあったみたいだ。
私の小さい頃、その小路はまだ残っていた。 
その上にある旧円山町は"円山花街"といわれ、1975年頃までは料亭が30~40軒あり、円山芸者も80人ちかくはいたみたいだ。 今は2人だけらしい。 
1968年に西武百貨店が渋谷へ進出し、1969年、二子玉川まで走っていた路面電車、玉電が廃止。
1973年にパルコができると渋谷から"シブヤ"へと急激に変化していった。 そしてバブル。
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◆上の1956年の写真と同じポジションです。
渋谷駅の下に渋谷川が流れている。 下流の天現寺あたりからは古川と名前が変わる。

その渋谷川の少し上流、代々木八幡付近の川の流れを謡った童謡が『春の小川』。
『故郷』『おぼろ月夜』を書いた高野辰之が川辺に咲くスミレやレンゲの花を見て、詩にした。
それから100年、エビやメダカや小鮒のいた川は蓋をされ地下を流れる、
その上をルーズソックスを履いていた女子高生やガングロやコスプレが歩んできた。

母がよく口づさんでいた『雨降りお月さん』 (詩:野口雨情、曲:中山晋平)
こども心にすごく悲しい歌に映った。

♪ 雨降りお月さん 雲の陰
  お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
  ひとりで傘さしてゆく
  傘ないときゃ 誰とゆく
  シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた
  お馬にゆられて ぬれてゆく ♪

今でもこの歌を聴くときは割烹着を着た母が台所で、米をとぎ、魚を捌き、洗い物をしている後姿が浮かんでくる。(まだ健在)

『赤い靴』、『十五夜お月さん』、『シャボン玉』など野口雨情の詩は悲しく感じるものが多い。
特に『シャボン玉』は「・・こわれて消えた」の言葉が繰り返される。
雨情の長女が生まれて7日目で亡くなり、この詩を書いたらしい、
♪ シャボン玉 消えた
  飛ばずに 消えた
  産まれてすぐに
  こわれて 消えた ♪
悲しく切ない歌である。
童話を読んで、童謡を聴いて心和むときがある。 でも、耳を澄ますと少しの残酷さを感じるときもある。

渋谷駅前で写真を撮った日曜日、あまりにも暑く高校野球の予選を観るにはきつく、そのまま東横線に乗り横浜中華街へ、中華ちまきをまた買いに。 冷凍庫にまだ9個入っている。
これでこの夏は乗りきれそうだ。 ♪ちまき食べ食べ兄さんは、測ってくれた背の丈♪
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# by w-scarecrow | 2009-07-28 19:49 | 散歩 | Comments(3)

冬瓜

夏の風物詩、冬瓜を見かけるとつい買ってしまう。

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冬瓜のあんかけ、暑い日にはもってこいである。

ここ2週間、体調をくずしていたが、少しづつ取り戻してきている。

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残った冬瓜は夕食に中華風スープにする。 
広東料理で冬瓜をくりぬいて、金華ハムときのこで作ったスープを中に注いだものがある。
トロトロの冬瓜がしっかりと味付けされている、さっぱり感のあるスープを食べてみたくなる。
今夜は肉団子と冬瓜のスープにする。

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[写真右]瀬津義雄さんの『柚手黄瀬戸輪花向付』
瀬津義雄さんは1937年、京都生まれ。
主に織部、黄瀬戸、志野など桃山期のうつわを作陶されている。
やわらかく温かい感触をもったうつわで、さりげない造形が心地よい。

[写真左]瀬津純司さんの『彩墨流鉢(五角)』
1975年、京都山科で生まれる。 
父である瀬津義雄氏のもと、父親とは全く異なった作風のうつわを作陶されている。
マーブリングのような黄土色、緑、黄緑、白と多彩な色を使って彩泥墨流しでできた模様が施されている。
京都らしい上品な和をうつわに表現する父と、伝統を踏まえて今までにない世界を描く息子と素敵な親子の鉢。

友人の奥さんから電話があった。 奥さんとは旦那さんよりも古く、高校時代のバイト仲間。
私が魚屋で彼女は隣の肉屋のバイト。
旦那が入院したと言う。
家の前でタクシーをつかまえ病院まで行ったらいしのだが、車中で旦那が「黒い色したタクシーに乗っちゃったな。帰りは黒い車じゃなきゃいいんだけど・・」と呟いたらしい。
車の色なんか意識せず、タクシーをつかまえてしまったことをずっと悔んでいた。
二人には子供はなく、アウトドアやワインや料理作りを仲良く楽しんでいた。
「おれがオープンカーで迎えに行ってやるよ!と伝えておいて」
「ありがとう、そう伝えておく」と電話を切った。
電話を切って考えた。 私には運転免許がない。
奴もそんなことは承知だ。 がんばれよ!

東京は夏らしくなってきた。 明日は自転車で等々力渓谷に行くか、神宮球場で高校野球の予選を観に行くかビール工場見学で作りたての美味しいビールを呑みに行くか迷っている。
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# by w-scarecrow | 2009-07-25 18:06 | うつわ | Comments(8)

空に星があるように

"The Leaf Store"から取り寄せた撫で肩タイプのブリキの茶缶。
1缶、¥350。
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樹脂の中蓋もついており、100gの煎茶がぴったりと入る。
シールを貼る楽しみもあり、値段から考えても優れものです。
ナッツやドライフルーツ、刻み海苔、用途は多々あり。

奄美諸島で皆既日食を観に行った家族づれが可哀そうでしょうがない。
上海へ1泊2日で行った人たちも雨の中で空を見上げていた。
インタビューではそれでも素晴らしい体験ができたと言っていたのでホッとする。
宇宙飛行士だった毛利衛さんも皆既日食を観て人生観が変わったと言っていた。
それから宇宙飛行士を目指したらしい。

日食グラスをかざして空を観ていた少年。 彼らの2009.7.22.はきっと記憶のなかに刻まれる。
私が中学生のとき、雑誌に載っていた通販で「水着が透けて見えます」というグラスを取り寄せ、
夏休みで混んでいる神宮プールで、水着姿のお姉さんたちをグラスをかけながら追っていた夏の思い出とはレベルが違う。
透けては見えず、立体的に見えるだけだった。 悔しかった。

日本で観れる皆既日食は26年後らしい、もちろん観ることはできないと想うが、是非、海外ででも観てみたい!
モンゴルの地平線の見える大草原で遊牧民たちの呑む強い酒を呑みながら
手で掴めるような星が溢れる空も眺めてみたい。

新宿のデパ地下でロールケーキを買ってきた。 「これが最後で~す」と私の横に並ぶ30代の女性に聞こえるように店員さんが言った。
私と視線が合ったときの彼女の目が怖かった。
歩きながら考えた、あの眼差しはいつかどこかで見た記憶がある。
電車の中で思い出した。
学生時代の友人の結婚式のときだ。 花嫁の投げたブーケが私の頭のところに飛んできたので想わずキャッチしてしまった。
そのとき私の前にいた女の子が振り返った、あのときの抗議の目だ。
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# by w-scarecrow | 2009-07-22 20:20 | Comments(8)

キャッチボール

サザエさん通りのある桜新町まで自転車散歩。
今日の東京は陽射しはないが湿度が高い、走っているときは風を感じるが停まった瞬間汗が滴る。
夏場の自転車散歩はリュックの中に着替えを常備している。
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開店して18年、いつも混んでいる人気店"Backerei Brotheim"[ベッカライ・ブロートハイム]、ドイツのパンを中心にフランス、イタリア、日本的なパンなど豊富な種類のパンが並び迷ってしまう。
アンチョビのフォカッチャ、ハムチーズサンド、カイザーゼンメル、ヘルンヒェン。
店員がケースの中のパンを一つづつ取ってくれる。 舌を噛みそうなので勿論、指で指し示す。

駒沢公園を抜け実家へ。
老母が物置になっている部屋の片づけを手伝ってほしいとのこと。
ナスがのっているフォカッチャに感動していた。

カラスの習性に似ていて、わが母もいろいろなものを溜め込む習性がある。
デパートの紙袋が30袋以上もある。 クッキーや海苔の缶、包装紙、下駄や草履、アルバム、私が高校生のときに使っていたノート。
ゴミに出したはずなのにここにある。 開くと一頁を使って女子の名前が細かい字で綿々と書かれている。
ヤバッ。
「缶は段ボールに入れておいて、燃えないゴミの日に出すから」
「紙袋はみんな捨てちゃおうよ、使わないでしょ」
しばらく考えて伊勢丹の紺色のタータン・チェックの紙袋は捨てないでくれと言っている。
「親父の写真、一枚持って帰っていい?」
「いいわよ」写真を確かめることなく迷わずに言った。

今度くるときにまた、なんとか茶を買ってきてほしいと言っている。
「フォカッチャね、わかった」
あと何年できるか判らないが、結構楽しい老母とのキャッチボールの一日。

★ベッカライ・ブロートハイム  世田谷区弦巻4-1-17 営業時間:8:00~20:00 (月曜定休)
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# by w-scarecrow | 2009-07-18 19:54 | 食 + うつわ | Comments(9)

にほんの夏、つけめんの夏

梅雨の明けた東京は朝の6過ぎの散歩でもTシャツが汗で濡れてしまった。
朝の散歩は駒場近辺(東大構内、宇宙研内など)と代々木上原近辺が気持ちよい。
昼前には32℃まで気温が上がってきている。
こんな日はつけ麺がいい。
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"代々木上原・大勝軒"のお土産用のつけ麺。
大勝軒は暖簾分けしたお店が多くある。 よくTVで取り上げられていたのは東池袋の店。
おおもとは中野大勝軒とこの代々木上原の店らしい。
和風出汁のスープとやや太めの麺。 熱々のスープにラー油を多めに入れてソバをすする。
旨い。
明治通り広尾1丁目の交差点にある"丸富"の醤油ラーメン、細麺のつけ麺も美味しい。
並木橋交差点の"有昌"の塩ラーメンも好きだ。

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写真は井の頭通り沿いにそびえるモスク"東京ジャミー"、トルコ系のモスクで昭和40年代、ラジオ番組のDJをやっていたトルコ人、ロイ・ジェームの育った場所に建つ。

代々木上原界隈に住んで25年以上経つ。
以前は古賀政男の邸宅(今はJASRACのビルと古賀政男記念館)があり、駅のそばに小さな店がポツリポツリとあるだけの街だった。
この7,8年にお洒落な店が急に増えてきた。 30~40代が多い居心地のよい街である。
地方から東京に出てきた若者が住みたい街は下北沢、三軒茶屋、自由が丘がベスト3らしい。

下北沢は10~20代前半の若者ばかりが目立つ街、歩いているとどこかで店の解体工事をしている。
若者たちはお店を覗きながらブラブラするが、お金は落としていかない。
若年層向けの店が圧倒的に多いので半年もたずに閉店に追い込まれる店も多い。
この街の家賃がベラボウに高いので商売は大手ファーストフード店以外は無理である。
28年前からこの地で頑張っている"ZAJI"という店がある。 昔の下北沢の匂いをそのまま持ちつづけてくれている飲み屋さんがあるのが救いだ。

交通量の多い幹線道路沿いの街は住みたいとは思わないが、三軒茶屋の街の方が下町風情も残っており物価も安いし、おじさんたちの居場所もある。
一部路面を走る玉川線に乗る楽しみもある。

自由が丘は私も住みたい。 毎日、ナボナが食べられる。

昨夜の横浜ベイスターズは今期初の3連勝、すごい!初である。
愛子さまの好きな内川がタイムリーを打ち、同じ大分出身の山口が抑えた。
先日、大分・柳ケ浦高校の野球部員を乗せたバスが転倒し死者がでた。 山口は3年前の柳ケ浦のエース。
昨夜は速球がうなっていた。
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# by w-scarecrow | 2009-07-15 15:54 | 食 + うつわ | Comments(6)

山のお茶

雨の日は雨を聴く、こころも躰もここにいる。
五感で雨を感じ、今を一心に味うことにする。
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手揉み茶のように細く針のような綺麗な茶葉に驚いた。
"TEA Shop八月の鯨"の限定で販売されている"煎茶・Mr.マウンテン"と名づけられた山のお茶。
浅蒸しの煎茶特有のまろやかさ、香ばしさが際立った(控えめではなく前に出た)実に美味しいお茶でした。

美味しいお茶に出会ったときは、このお茶を飲むときは何を添えて飲むかを考えるのが楽しい。
わざわざデパートに行き和菓子や焼菓子を買うのも苦にならない。
この時期は雨の音を感じて一服するのもいいかもしれない。

鎌倉の報国寺の見事な竹林を眺めながらいただいた抹茶が美味しかった。
寺の近くにある"さはん"という茶処の煎茶もすごく美味しかった。
その帰りにお金を洗うと倍になって返ってくるという銭洗い弁天で
ザルの中に一万円札を2枚入れ、何度も何度も丁寧に水をかけていた当時の彼女の後姿が浮かぶ
「長つづきはしないんだろうな・・・」と感じた身勝手だった思い出。

◆急須・水野陽景(常滑)   ◆板皿・山田想(常滑)
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# by w-scarecrow | 2009-07-10 19:30 | tea | Comments(4)

石垣りん

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『儀式』

母親は
白い割烹着の紐をうしろで結び
板敷きの台所におりて
流しの前に娘を連れてゆくがいい

洗い桶に
木の香りのする新しいまな板を渡し
鰹でも
鯛でも
鰈でも
よい
丸ごと一匹の姿をのせ
よく研いだ包丁をしっかり握りしめて
力を手もとに集め
頭をブスリと落とすことから
教えなければならない
その骨の手応えを
血のぬめりを
成長した女に伝えるのが母の役目だ
パッケージされた方々を材料と呼び
料理は愛情です
などとやさしく諭すまえに
長い間
私たちがどうやって生きてきたか
どうやってこれから生きてゆくか

石垣りん詩集より

石垣りん(1920~2004)さんは東京生まれ、14歳の時に日本興業銀行に事務員として採用され、定年まで勤める。
母の死後、4人の義母のもと3人の妹と2人の弟の生活を背負い詩作をつづけてきた。
茨木のり子さんと同じく、大正の女性たちは想像しがたいほどの貫かれた惑いのない意思を感じる。

小学校6年生のときの担任が50代中頃の女のF先生だった。
夏休みの読書の宿題が井伏鱒二の『黒い雨』だった。 私にとって初めての長編の小説。
2学期が始まり、先生の戦中や空襲の話を『黒い雨』をもとに戦争というものの酷さ聞かせてくれた。
私が「どう生きてゆくか?」という「?」の始まりがそのF先生との出会いから始まった。

中2から中3の9月まで新聞配達をしていた。 朝の4時前に専売所へゆき、暗い中、担当市域へゆく。
東京は木造やモルタル造りのアパートが密集しているところが多い。
小学校の時に仲のよかったM君とK君、いつも学年で1~3番までのトップクラスの成績を残していた2人。
M君は父子家庭で2人の弟がいた。 狭い木造のアパート、新聞受けに入れる時は既に電気が点いており、廊下に面した台所からの生活音がいつも聞こえた。 M君が起きて台所にいたに違いない。
K君はひとりっ子の母子家庭。 一部屋だけの古いアパートの一室。
運動は苦手で少年野球でいつもベンチウォーマーだったが休むこともなく来ていた。
M君やK君の部屋に新聞を入れる時にはいつも「がんばれよ・・」と心の中で呟いていた。
でも、2人とも修学旅行へは来ることはなかった。

兄貴たちも中学生のときからアルバイトをしていたので私も小遣い欲しさに新聞を配った。
裕福ではなかったが高校は私立へ進学してもよいと許しを得ていた。
M君は都立高校へゆき、その後就職をして名古屋で会社を営んでいると聞く、主だ。
K君は千葉にある全寮制の高校へゆき、30を迎える前に亡くなったと聞く。
将来の選択肢が限られていた成績優秀な2人、どんな選択でもできた自分。
明日は七夕、なんと短冊に書こう?
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# by w-scarecrow | 2009-07-06 20:17 | | Comments(6)

がんばれニホンのお父さん

重たい雲がゆっくりとどこかへ移動し、薄い雲になってきた。
新宿のデパ地下で夕飯の材料と低温殺菌の牛乳、できあいのデミソースのハンバーグを買い帰路へ。
デパ地下の狭い通路をキャリーバックを引きづった人が多いのに驚く。 ぶつかりそうになった。
西新宿を抜け、甲州街道に沿って走る水道道路をテクテクと歩いてきた。
6,7月は地方の物産展はめったにやっておらず、まだ見ぬ味と出会うことがない。
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水道道路と幡ヶ谷の6号商店街のぶつかったところに"CONCENT"というケーキ屋がある。
以前、パンを買ったことがあるがパンも美味しい。
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<杏仁フルーツ> 風味のある杏仁クリームの上にいちご、キウイ、オレンジがのっかっている。
<パッションフルーツ> パッションフルーツのジュレとクリームをミルクチョコのムースで包んでいる。
ジュレが二層になっていて、甘さも抑えめ栄倉奈々のような爽やかな味。
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深煎りのコーヒーに合うやや小ぶりなRorstrandのC/S。(ソーサーの柄がカップに反射してしまいました)

総選挙もちかくなり首相も議員たちも悲壮感に溢れた顔つきになってきた。
そんな顔をTVで眺めているのがなかなか楽しい。
自信溢れる東国原知事と対照的に一番、悲壮感が漂っていたのは先週、結婚式を挙げたパティシエの鎧塚さん。
新婦はこれ以上にない晴れやかな笑顔でいるのに新郎は引きつった笑顔を時々、浮かべていただけ。
がんばろう日本の亭主たち。 辛いのは皆、一緒だ。

先週、呑み仲間が悲痛な顔をしていた。
「聞いてくれます?小学4年生の娘の行く末が心配なんです。 先日、娘に『今日はお父さんと一緒に風呂に入るか?』と訊いたら、『お小遣いをくれるんだったら入ってあげる』と答えたんですよ。
お金を貰って一緒に風呂に入る。 どこでそんなことを憶えたのか・・・これからどんな大人になっていくのか・・、なんかすごいショックなんです」
私は笑ってはいけないし、返す言葉の経験値がないので困った。

この一週間、私を含めて悲壮感が溢れた人ばかりだった。
こんなときは葉山のヨットハーバーに停めてあるクルーザーで小笠原あたりまで航海にでたい。
そうだ、そんな夢が覚めたら井の頭公園のボートでも乗りに行こう! 「ここのボートに乗ると絶対別れるよ!」とすれ違うカップルが乗るボートに声でもかけてみることにしよう。  
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# by w-scarecrow | 2009-07-03 18:20 | 食 + うつわ | Comments(6)

石井隆寛 湯呑

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                      石井隆寛 『白釉炭化湯呑』                  
                         1977年 東京都生まれ
                         2000年 玉川大学芸術学部卒
                                隠崎隆一氏(備前)に師事
                         2006年 神奈川県箱根町に築窯

                           口径: 7cm 高さ:8.3cm


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躊躇いのない大胆な面とりに釉の流れ、貫入、顔を出している濃淡の素地。
ややベッージュががった色合いが鋭さのある造形をやわらかく包んでくれている。
酒器、花器、茶器など、どの作品でも斬新的なデザイン、造形で楽しませてくれる。
次はどんな作品を発表するのだろうと期待をもたせてくれる作家はそう多くない。

鬼才・隠崎隆一氏に師事をしていたので師と似ている、抜け出ていないと評されているのを見たことがある。
それは当り前のことであり、どの分野の作り手でも初めは自分が一番影響を受けた人の模倣で始まる。
落語の世界でも初めは演目を師匠の上書きで、それらしく演じているだけである。
30代になってその演目を消化し、長い時の積み重ねでいつしか燻し銀の光を放ち、自分の十八番となっていく。

石井さんは織部にも黒、銀彩釉、炭化焼き〆にも特異な作風を生みだしている。
魅力的なシルエットのなかにフッと和める柔軟性があって使う人にも作者の想いが伝わってくる。


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鹿児島県の霧島山系の『みぞべ茶』、いただいた煎茶で焼菓子を食べながら北欧のcoolなjazzを聴く。
知覧茶、みぞべ茶は採れた産地をブランド名にしている。 あとは鹿児島茶というブレンド茶として売られている。
知覧、頴娃のお茶は陽を浴びて強くて洋々とした香りあるお茶の印象があった。
この溝辺のお茶は山のお茶のやわらかさと仄かな明るさを感じる美味しいお茶だった。
末重製茶の飽きない煎茶。 

霧島は一度訪れてみたいところ。 日当山温泉の古湯に浸かり焼酎と錦江湾の新鮮な魚を食べてみたい。
ただ年配の人が話す薩摩弁は全く解らないと想うのでCasioの電子辞書を持っていかなければ。
いまだに不思議なのは幕末のころ西郷さんの薩摩弁と勝海舟の江戸弁が通訳なしで通じたんだろか?
それに津軽や会津の人間が加わったら大変なことになっていたと想う。 

PCの莫大な修理代を費やしてからまたストイックな日々がつづいている。
ついこの間まで花を見て愛しいとか空を見て永久(とわ)を感じることなどなかったのに・・。 なんか変だ。
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# by w-scarecrow | 2009-06-28 15:58 | うつわ | Comments(12)

ちまき

先週、訪ねた横浜中華街。
揚州飯店でランチを食べているときに"ちまき"の美味しい店を中国人のウェイトレスに訊いてみた。
奥にゆき、ほかの店員と意見交換をしてくれていた。
関帝廟通りと市場通りの角に台湾風の点心、中華菓子の店『頂好食品』のちまきが美味しいと教えてくれた。
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箸を入れてみた。
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大きな干し椎茸に付いているオレンジ色のものはアヒルの卵の黄身の塩づけ、それに大きな豚肉、干しエビがいっぱい入っていた。
味の濃さも香辛料の具合ももち米の炊き具合もよかった。
感動するくらい旨かった。 2個しか買っていないので後悔している。

ちまきは中国では端午の節句に家庭で作る、季節の祝いの食べ物。
以前、食べた広東ちまきは豆や貝柱など具材がいっぱい入っていたが少し甘く感じられた。
横浜へ行く前に調べたときは焼豚で有名な『有昌』という小さなお店のちまきが美味しいと、中国人の料理人のblogでの記事があった。 つぎに来るときはこちらも覗いてみよう。

5年くらい前にすごく好奇心旺盛な子と中華街の肉まんの食べ比べをしたことがある。
彼女が事前に調べあげた5軒の店。 もちろん通販をしている店や大型飯店は入っていない。

肉まんの有名店『江戸清』の混雑した前を過ぎると『北京飯店』がある。
横浜・北京飯店の五目まんが一番美味しかった。
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五目まん¥410 肉まん¥350
見た目よりはくどくない味。 ボリューム満点。 値段も他店に比べると安い。

江戸清や神楽坂・目黒の五十番の皮がパンのようにぶ厚い肉まんは苦手、味付けも甘めだ。
華正楼の肉まんも好きだが味がやや濃いめ、維新號は確かに美味しいが高い。
辛子醤油で食べる関西の豚まんも無性に食べたくなることがある。

今朝、ラジオをつけたら岡村孝子の『夢をあきらめないで』がかかっていた。
♪乾いた空につづく坂道~♪ この大ヒットした曲はよく歌詞を聴くと残酷な曲なんです。
♪心配なんて、ずっとしないで、似てる誰かを愛せるから♪ 
♪切なく残る痛みは、繰り返すたびに薄れていく・・♪ だから貴方は夢をあきらめないで。(私は私で生きていく)
あみんの♪私、待つわ、いつまででも待つわ~♪を聴いたときも「ウソ言え。女には待つという負の動詞はinputされてないの!」とひとりで突っ込みを入れていた。
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# by w-scarecrow | 2009-06-24 09:14 | Comments(6)