winter's scarecrow

カテゴリ:映画( 14 )

春にして想う

明日は母の日、一年間の母親の苦労をねぎらい健康で過ごせるようにと願う。

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小津安二郎監督『東京物語』(1953年)、父とは、母とは、家族とはを考えさせてくれる秀作である。
今観ても家族の形態、価値観は変わってきているが流れているものは変わっていない。

周吉(笠智衆)とトミ(東山千栄子)は尾道から、東京や大阪に住んでいる子供たちに会うため旅にでる。
内科の診療所をやっている長男の家に泊まるが家は手狭でそれほど裕福そうでもない。
祖父母のために自分の部屋を空け渡したことに孫は腹を立てている。



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戦死した二男の嫁だった紀子(原節子)が加わり、久しぶりの家族団欒である。
翌日、急患が入り東京見物が中止になった周吉とトミは暇をもてあそぶ。

長男の家をでて長女の家を訪ねるが、夫婦共々忙しくて両親をもてなすゆとりがない。
紀子が会社を休み、二人を観光バスに乗せて東京案内をしてくれる。
そして、ひとり暮らしのアパートへ二人を招く。
そこには戦死した二男の写真が飾ってあった。





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周吉とトミは2泊の予定で熱海に静養に行くが、旅館に団体客が入っており、そのドンチャン騒ぎで眠れぬ夜を過ごす。
海を見渡す防波堤を歩いていたときにトミは目眩を起こし、1泊しただけで東京へ戻る。
早々に帰ってきた両親をいぶかしく見る長男と長女。

居る場所がなくなった二人は上野公園のベンチで思案する。
トミは紀子のアパートへ周吉は旧友の家を訪ねる。

尾道へ戻ったトミは脳溢血の発作に襲われ危篤に陥る。 東京や大阪から子供たちが駆けつけトミの最後を看取る。



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葬儀が終わり、子供たちは慌ただしく帰って行く、最後まで残っていたのは紀子だった。
「妙なものだ。自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方が、よっぽど私たちによくしてくれた。 いやぁ、ありがとう」

子供たちの家にはそれぞれの事情がある。
周吉とトミはもしかしたらこれが子供たちに会える最後の旅であると感じていたと想う。

20歳のときにSan Franciscoの映画館で『東京物語』を初めて観た。
父が笠智衆と似ていたこともあって、涙が溢れんばかりに流れてきた。
行き場所をなくした二人が公園のベンチで宙を眺めている。 その心情を考えたら止まらなかった。

親爺はどうしているのかな?と想い余って近くの公衆電話からコレクトコールをかけた。


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運悪く母がでた。
当時はオペレーターと母と3人で会話ができた。
オペレーターの英語に圧倒され無言でいる。
「受信人払いの電話で、繋いでいいのか?って訊いているから、イエスと言ってくれればいいんだよ・・」
「・・・・・」
金縛りにでもあっているのかもしれない。
今観た映画の感動を伝えたかった。
突然「NO!!」という声が聞こえ電話は切れた。

先日、ムースと美味しい味噌を届けに実家へ。家の近くにきたらスタスタとした足取りで母が前を歩いてた。カメラを取り出し後ろ姿を撮った。

着物を着る機会が多いので大正生まれにしては背筋がピンとしている。
「ムースを買ってきたから食べようっ」 怪訝な顔をしている。 
そのあとは想像通りの言葉が返ってきた。「ムースって・・」

いつまでも元気でいてほしい。 ありがとう。
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by w-scarecrow | 2009-05-09 18:06 | 映画 | Comments(6)

風を感じて

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Krzysztof Kieslowski (クシシュトフ・キェシロフスキ)監督作品、

『ふたりのベロニカ』 ポーランド・フランス合作作品。
イレーヌ・ジャコブ(ヤコブ)主演。 1991年、カンヌ国際映画祭主演女優賞受賞。

キェシロフスキ監督がベルリンの壁崩壊後、初めての西側との合作作品。

キェシロフスキは社会主義体制の終焉を迎えようとしていた1988-89年、テレビ放映用に制作された10話からなる『デカローグ』を撮影している。
私の観た全ての映画のなかで一番、心震わされた作品群。

10代のときにアンジェイ・ワイダ監督の『灰とダイアモンド』、イエジー・カワレロビチ監督の『夜行列車』を名画座で観て、あのポーランド映画独特の空気感に打ちのめされた。
ワイダやカワレロビチは先の大戦後のスターリンイズムの吹き荒れるなか、何度もの検閲を受けながらも体制へのプロテストを作品のなかに散りばめていた。
それは台詞で表す訳ではなく、人がいかにidentityを持ち、人間としての尊厳を保ちつづけていられるか・・それを演じる。 
そのこと自体が反スターリンイズムの映画となっていた。


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同じ年、同じ月日、同じ時刻に生まれた、二人のベロニカ。
ポーランドの田舎町に生まれ、合唱団でソプラノを歌うベロニカ、学生と警察隊が対峙している広場で西側から訪れた観光客のバスのなかに自分と同じ髪の色、容貌をしたもう一人のベロニカを見て立ち尽くす。
ベロニカは演奏会のソプラノの独唱をしている最中に心臓発作で命をおとす。

パリの郊外で生まれたもう一人のベロニカは行きずりの恋を捨て鉢に、自分の心の置場所を見つけられず暗澹とした日々を送っている。
音楽教師をしている小学校で、人形劇の公演にきた童話作家でもある人形師に運命的なものを感じる。
亡くなったベロニカに導かれるように、二人分の命を生きるように、本当の恋を掴もうとするベロニカ。


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アンバーな色調の映像でベロニカの心情風景を描いている。
歪んだガラスから見えてくる風景、歩く廊下や部屋の外光が射す光りがまだらに揺れている。
光りで幾重もの人々の心のアヤを表現している。
この映画では余分な効果音を殆ど使わず、ベロニカの足音を強調している。
ベロニカの歩みと躰に伝わってくる反響。
言論統制下で物づくりをしてきた作家の知恵と巧みな表現方法なのかもしれない。

『ふたりのベロニカ』の後、キェシロフスキは『トリコロール・三部作』を撮る。
社会主義体制下でも西側の資本のなかでも貫いているものは全く揺らいでいない。
1996年3月13日、心臓発作で54歳の命をとじた
いつまでもいつまでもキェシロフスキの風を感じていたい。

映画監督のなかで一番好きな監督を取り上げさせてもらいました。
映画をやっていた仲間が「Wさん、僕、映画を辞めて福井に帰ることにしたんです。田舎に好きな子がいるんです。色々と迷ったんですが、僕は女をとります。今まで観た何百本の映画がそうしろと教えてくれたんです」
と気絶でもしそうな名言を残して帰省した男がいました。
今は鯖江でメガネを作る職人として生きています。
これからスコットランドの超軟水の"DEESIDE"をチェイサーにアイリシュでも呑もうと想っています。
この超軟水、すごーく旨いんです。一度、試してみてください。
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by w-scarecrow | 2009-03-06 23:17 | 映画 | Comments(6)

許鞍華(アン・ホイ)  李仁港(ダニエル・リー)

9月に開催された福岡映画祭でアジア文化の創造に貢献をした人物として許鞍華(アン・ホイ)が大賞を受賞した。
'90年代の初めのこと。李仁港(ダニエル・リー)から彼が撮影した写真集が送られてきた。
許鞍華監督作品『客途秋恨』の香港上映に併せての写真集であった。


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『客途秋恨』アン・ホイ(写真左)の自伝的物語。
ロンドン、マカオ、香港とロケをして最後の20日間は別府・湯布院・大分ロケ。
監督補として初めてアン・ホイ作品についた。
それ以前、ユーロ・スペースでアンの作品『望郷・ボートピープル』を観て切り口の見事さに感動したことがある。

香港映画には脚本(本になった)がないという。アンの作品にはちゃんとした脚本がある。
しかし撮影が始まると脚本はどんどん変わってゆく。
別府での撮影が始まって5日目、脚本のことでアンとぶつかった。その日の撮影は中止。
2日に一回、アンから脚本があがってくる。
私は撮影が終わると一風呂浴び、別府駅近くの居酒屋で呑んでいた。
いつも助監督の馬さんがアンの改稿した脚本を届けてくれていた。

アンとぶつかったのは言語体系の問題。確かなことは解らないが北京語と違って広東語を話す人たちは尊敬語、謙譲語の概念があまりないという。
アンからあがってきた英語の脚本を「できるだけ直訳にちかい形にしてほしい」と言われた。
たとえば「I love you」という台詞を日本人はそのまま「君のことを愛している」とは言わない。
日本人はもっと遠回しな言い方をする。言語表現がファジーである。


相手と自分の置かれた立場で言葉も変わってくる。朝まで話してアンが理解してくれた。
初めての仕事なので信頼度の問題もあったと想う。
次に撮った『極道追踪』(劉徳華 アンディ・ラウ主演)ではすべて任せてくれた。



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別府駅前の消防法に違反していそうなオンボロのビジネスホテルにスタッフ全員が宿泊した。
張曼玉(マギー・チャン)もその朽ちかけたホテルに泊まった。
日本映画では大女優にユニットバスの部屋をあてがうことなど考えられない。
日本の芸能界が特別なのかもしれない。
アン・ホイにつく以前はフランス、アメリカ人の監督についていた。
マリア・シュナイダーもミレーヌ・ドモンジョも打ち合わせには一人でやってきた。
日本のタレントとは違って管理してくれるマネジャーも取巻きもいない。

香港スタッフは皆、タフで明るい。
20~30代の初めという若さもある。ダニエルに「なんで皆、こんなにタフなの?」と訊くと「高麗人参を飲んでるから」結構、皆、高麗人参の分封を持っていた。
ダニエル(ア・コン=港さん)は美術兼スチールカメラ担当。
温泉が大好きである。「銭湯(別府は殆ど温泉)へ行きたいのだけれど入浴のシステムを教えてほしい」と言う。
説明するのが面倒なので一緒に行った。ア・コンはそれ以来、毎日の銭湯通い。
スタッフのなかでは一番、西洋的な感性の持ち主なのだが彼の書がすごい!

ダニエルは監督として『星月童話』では常盤貴子を起用して日本でも話題になった。
『猛龍』などのアクション大作も撮っている。

アンは『女人、四十』(アラフォー?)以降、今も精力的に作品を送りだしている。
ダニエルいわく「もっとも香港人らし香港人」 私は昔の日本人女性の風格と芯の強さを感じる。
撮影のときには皆にお茶を配って歩いている。彼女が東京にある日本語学校にお忍びで短期留学していたことがあった。
「私、クラスで一番高齢なんだけど成績もトップなの」のオチャメに話していた。
アンは香港で母親と二人で暮らしている。
お母さんは日本人であるが日本語をほとんど忘れてしまっているらしい。
それが日本語教室に通っていた理由だったのかもしれない。

いつも手紙に書いてくるアンの言葉「Keep your way」
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by w-scarecrow | 2008-12-19 08:16 | 映画 | Comments(7)

はじめまして

René CIément (ルネ・クレマン 1913-1996)

『鉄路の闘い』で第1回カンヌ国際映画祭で監督賞、作品賞を受賞。
『禁じられた遊び』『太陽がいっぱい』など大戦中から反戦映画をつくり、戦後もサスペンス、恋愛映画、コメディーなど多様な作品を送りつづけてくれたフランス映画界の名匠。

この写真はジュネーブへ向かう列車でクレマン監督からいただいたサイン。
穏やかな表情が彼の骨太の作品群からは想像できなかった。
人を包みこむような優しい笑顔を浮かべていた小柄なフランスの老紳士。
クレマン監督と一緒に仕事をさせてもらった思い出が甦ります。
1996年3月17日、モナコで83歳の生涯をとじました。
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music、映画、本、物、食、うつわ、アマ・プロ野球など
おそらく退屈してしまいそうな文を綴っていきます。
骨休みにのぞいてみてください。
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by w-scarecrow | 2008-11-10 06:21 | 映画 | Comments(2)