winter's scarecrow

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おっさんたち now


羽生結弦くんの達成感から出る笑顔と,はにかみながらのキュートな笑顔と、
メディアの質問に対しての100%対応の唸らせる言葉がわが身にもほしい。
おっさんたちは皆、ひがんでいます。

「あの追っかけのお母さんたちは ”渡り ” という、元々ヨン様あたりからの韓流ファンが流れ流れてくまのプーさんにきたんじゃないの」

おっさんたちは結弦くんの完璧な演技に感動しながら、なにかガテンがいきません。


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500m、金メダルの小平奈緒のずっと雲の上の人だったライバル、韓国のイ・ソンファが銀に終わり涙が止まらない彼女に駆け寄ってハグした姿が最も印象的でした。

小平奈緒のインタビューの声は摘んだ言葉が、素敵でした。

向かい風をほしがる稀有な競技、逆風を受け止めて平昌の気ままな風に、40代のレジェンド・葛西がどれだけ乗れれるか愉しみ。
おっさんたちはイケイケでバブルの " 追い風 " に乗ることだけを是としてきました。
乗ってみましょっ、向かい風の快感。


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朝起きたら、「アサリの味噌汁できたよ」と常盤貴子がさり気にテーブルに置いた。
常盤ちゃん、別にファンではないけど夢の中の出演回数 NO.1 。なんでだろ? 
味噌汁だったら木村多江でしょ。
2月、そんな日々です。

カーリング競技の氷をクシュクシュするブラシはどこで売っているんだろう? IKEA?


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by w-scarecrow | 2018-02-19 03:11 | Comments(0)

鉄輪の湯けむり

1990年代の香港映画、女性監督・許鞍華(アン・ホイ)の監督補として就いていた。

香港映画は脚本がないといわれているが、本当なんです。
ベースの台本はあるのですが、すぐパクられていまうので公にしません。 前日、前々日に書き上げたものか現場で脚本を描き演出してゆきます。

ロンドン、マカオ、香港の撮影を終え、最後は別府、湯布院、大分での準備期間を含め3~4週間の撮影。


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撮影隊の宿泊、別府駅前のかなりポンコツのビジネスホテル。

そこに香港映画の名女優・マギー・チェンもスタッフともども逗留している。日本映画だったら主演女優はそんな錆びれたホテルに滞在させることはない。

香港映画のクルーは日本人は私だけなので、市役所の厚意で観光課の二人が帯同してくれた。
普段は9時5時の役所の職員、中尾さんも三ヶ尻さんも朝7、8時から夜中2,3時までずっと撮影の同行してくれた。

映画の撮影のハードさに面喰っていたと思うが、後々本人たちは何か別世界に自分もいるようだと言っていた。 

撮影時に道路を10分位い人や車止めをることがある「申し訳ありあません」、市役所の人たちが夜更けの歓楽街で車止めをしていてくれていた。
こういうときには灯りに引き寄せられたようにヤンキーがやってくるのだが、このときは顔を赤くした酔っ払い運転のガラの悪い男たち、「なに、断りもなく止めてんじゃ!」

「撮影許可を取っているので」と市役所の中尾さんが足を運んだら、奴らは逃げ去った「あの酔っ払い運転の奴は別府警察の警官でしたよ」とニコッと笑ってくれた。
車止め人止め、弁当手配に機材運びスタッフ以上の働きをしてくれた。

役所勤め10年の中尾さん、地元の進学校から大学進学時にいくつかの推薦入学枠があり、その中で「津田塾大学を・・」と進路指導のときに言ったらしい。( 女子大とは知らず)

結局、軟弱ミッション系、私より2歳上の先輩、別府のカラオケでサザンを歌いながら渋谷宮益坂「ラケル」の思い出話。

NHKが撮影した跡にはぺんぺん草も生えないというのが映像に携わった人たちの常套句。

その後、中尾さんは役所間の日米交流でアメリカ留学した。

きっとNHKが撮影した跡も、別府観光にぺんぺん草が生える誘致をいくつもされてきたと想う。

香港の許鞍華が東京映画祭で審査委員として来日したときも「wさん、中尾さんには感謝を伝えといて」と言われた。

地方での長い撮影、数知れない町の人々の援助と中尾さん、三ヶ尻さんみたいな突出した役人さんたちと出遭います。

中尾さんが出張で東京に来られた時はいつも台湾へなちょこ中華料理店だっんで、今度は本格中華で。

「何十年かの役所勤めで、あんな刺激的な1ヶ月はなかった」と言っていた。 佐藤課長、残業代はつけてくれていたのかな?
今、思うとそれだけが気になる。残業といより睡眠時間が3,4時間の毎日だった思う。


また、訪ねますね別府、鉄輪。


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by w-scarecrow | 2017-12-23 04:54 | Comments(0)

♪ Day Dream Bileiver



敬老の日。
私の老母は腰は弱くなり、歩くのは少しだけ難儀みたい。

「人様に迷惑をかけちゃいけないよ」と「ちゃんと自分の躰のことを考えなさい」、いくつになっても毎回、電話口での最後の言葉はこの二言。 


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2015 原宿表参道


1960年代後半、アメリカのアイドルグループ、モンキーズが ♪ Day Dream Biliever ♪ で全米チャート一位となった。
ジャニーズ事務所がこれをならって続々とアイドルグループを放出した元祖。

このモンキーズのヒット曲が1989年、日本で甦った。 なんも面白くない原曲を忌野清志郎が自分の詞でカバーした。


          Day Dreams Bliever
          もう 今は彼女はどこにもいない
          朝はやく 目覚ましがなっても
          そういつも 彼女と暮らしてきよ
          ケンカしたり 仲直りしたり
          ずっと 夢を見て 安心していた
          僕は Day Dream Biliever
          彼女はクイーン

          でもそれは 遠い遠い思い出
          日が暮れて テーブルに座っても
          ah 今は 写真の中で微笑む
          ずっと 夢を見て幸せだっただろ
          僕は Day Dream Biliever  そんで
          彼女はクイーン


このカバーが発表される2年前、清志郎は父と母とも実の両親ではなかったと、育ての母が他界したときに知らされた。その後のすぐに育ての父の突然死。
そして育ての母の実の妹(清志郎が3歳のときに亡くなった実母)の遺品が届けられた。 写真や日記や俳句を記したノート。
          
         
          37年近く生きてきて とにかく初めての気持ちなんだ
          とっても幸せな気持ち だけど どんどん涙が出てきてしまう

          わーい ぼくのお母さんてこんな可愛い顔をしていたんだ 
          気がつくと ぼくの目に涙があふれている 



デイドリームとは空想のなかの楽しい夢のこと、ビリーバーは信じる者。

忌野清志郎が逝ってから8年が経つ、同じチャリ好き、私もただただその辺、風を切って走ってます。



私の兄弟は5人、母は子どもたちにの誰かを褒めたり特別扱いはしなかった。 少年野球で準優勝したときも褒めの言葉はなかった。
ただ例外がある、私が小学校6年生のときに NHK の「みんなでホームラン」というクイズ番組に学校の代表として出たとき。

一週間後の放映日。 正解をピンポンと出した四男坊に言葉も発しなかった。「あらっ」だけ。

その日の放映後、親父が角打で呑んでいるご近所の末広屋酒店から「これ、W坊に」とバヤリースが届き、変わり者の仕立て屋のおじさんからはカルピスが届き、お隣のKさんからは泉屋の缶に入ったクッキーが届いた。

なんだ、ご近所に放映日を知らせていたんじゃん。

東京大空襲の中を生き延びてきた老母、弱音を息子たちにはこれっぽっちも見せない。 元気です。

My Day Dream Believer  粋です。
          


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by w-scarecrow | 2017-09-15 01:39 | Comments(2)

習い事


ゴールデンウィークの最終日、成田空港に降り立った家族連れ、疲れきった様子でTVのインタビューに答えている。
定番の子供への質問「ハワイはどうでしたか?」「たのしかったっ」「一番楽しかったのはなんですか?」「ラーメンがおいしかった・・」

子どもたちは疲れきっている。
日々、スイミングや公文、ピアノにバレー、リトミック、サッカー、英会話、学習塾、彼らの一週間はマツコDX並みのスケジュールが組まれている。
外で近所の仲間と遊ぶなんて経験をしたことがない。
少子化対策? 一人の子で私の生活費の何倍もの教育費がかかるのだから二人、三人と子どもを持つのはとんでもないこと。



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                          センターがわたしです


★私の小学校低学年、

近所の年上のお兄ちゃんたちが下校するまでは、缶蹴りも戦争ごっこも三角ベースもできず、アリンコの巣の穴を埋めたり仕立て屋のおばちゃんちで煎餅にお茶をいただき一緒にラジオを聴いていることが多かった。
三番目の兄の命令で白金三光町の愚連隊が攻めてくるので、泥団子を作っておけ!と渋々命令に従っていた。
一日が長かった。

★小学校中学年、

近所にあった " 劇団ひまわり " に稽古に来ている年の近い女の子たち、その中にはTVに出ている子もいてその姿が眩しくて眩しくて。
「僕もひまわりに入れて・・」と恐る恐る母に進言。「なにバカなこといってるの」の一言で終わった。

こんな大勢の家族がうろうろしている家はヤダ!と「僕、6年生が終わったら高野山のお寺の坊主になるから」と断言。

★小学校高学年、

TVでウィーン少年合唱団の透きとおるような声を聴き「お願いがあるんだけど、僕をウィーンに行かせてください!」決死の想いを伝えたが「この前は高野山、今度はウィーン?男はやりたいことがあるのなら一本に決めなさい」

少年野球だけはものたりず、調布のリトルリーグで硬式の野球をやりたいなど懇願したがすべて「よそんちはよそんち」で終わってしまった。
息子の限りないポテンシャルを軽~く消されてしまった。

初めて許されたのは中学3年生のとき、受験に向けて私の数学のレベルは小学生と変わらなかったので夏期講習だけでも受講させてと頼み、やっと塾というものに行かせてもらった。
楽しかった。勉強って面白いんだとやっとのことで知った。


昭和の時代、商売をしている家は別として多くの家庭は専業主婦。お父さんの月給だけて子供が3人も4人もいる家庭を養ってきた。
外食なんて法事のときくらい、兄弟の着るものはみなお下がり、従弟の服もあった。
豆腐と納豆と山芋、コロッケ、ライスカレー、魚の干物、たまに豚肉のすき焼き、今想うとつつましかった。母が支えていたのかもしれない。

さきほどご飯が炊けたピーという音が鳴った。
つつましい夕食、¥191の豚レーバーに¥37のもやし2袋、ちょっと高い¥138のニラを買い、レバニラとおかめ納豆のメシ。¥500を切る食材で2日分の夕食です。
レバーの下味に軽く五香粉をふると、少しだけ中華街の味。



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by w-scarecrow | 2017-05-08 21:45 | Comments(2)

夏は巡る

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♪ 涙があふれる 悲しい季節は
 
 誰かに抱かれた夢を見る

 泣きたい気持ちは言葉に出来ない

 今夜も冷たい雨が降る

 こらえきれなくて ため息ばかり

 今もこの胸に夏は巡る ・・・ ♪



夏の終わりにサザンの ♪ 真夏の果実 ♪ や石川セリの ♪ 八月の濡れた砂 ♪ を聴くと沁みわたる。

片岡義男の文庫本をリーバイスの尻ポケットに入れ、江の電に乗り湘南の海辺へ。
若い頃の!! 浅野温子みたいなサーファーの長い黒髪が海風になびいて恰好よかった。
そんな眩しい彼女たちは夕暮れになると、彼氏のバイクや車に乗って去ってゆく。

車の免許を持っていない、泳ぐのが苦手な私はトボトボと人が去った砂浜を歩く。
自転車の運転には自信があるのだがサーファーの女の子をチャリの後ろに乗せても画にならない。

陽が落ち、海岸沿いの屋台でサザエの壺焼と焼きハマグリでチョロチョロと剣菱の燗酒を呑む。
そんな湘南のセピア色の光景が想い浮かぶ。


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              この車両に乗るのは度胸がいるかも。

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             ノリカエを待つ人たち

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食が細くなった老母にデパ地下で和食のお弁当を買う。 小・中学は給食、高校は学食だったので母の作ったお弁当は幼稚園のときだけ。

NHK の " サラメシ " という番組とBS Japan の " 母の味宅配便 " などお弁当の番組を観るのが何故か愉しみ。

親に「うるせえな」とか毒づいたことはなかったが(兄貴たちからの蹴りが飛んでくるので)、小学生のとき、集めたベルマークを皆、学校へ持参する日があった。
母に「食品に付いているベルマークを切り取っておいてよ」と頼んでおいたのに、ゼロだった。 
「学校、休む!」とすねた。

デパ地下のお弁当をゆっくりと食べている母の姿を見て、そんなちっちゃな記憶が甦る。
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by w-scarecrow | 2013-08-22 22:35 | Comments(0)

spaghetti ai tre orgasmi

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瓶詰めの粒ウニ、カニのフレーク缶詰、あさりで作ったカルボナーラ。
材料は他にエシャロット(みじん切り)、卵黄、鷹の爪、ニンニク、バジル、パルメザン、仕上げに一味唐辛子を軽くふっただけの簡単レシピ。
安売りの粒ウニが手に入れば安上がりだ。 カニ缶はカルディーで¥300ちょっとで済んだ。 旨い!


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欧米では ” 肥満税 ” と似たような課税が増えているみたいだ。

ハンガリーでは ” ポテトチップス税 ” があるらしい。 対象は砂糖や塩分の多い食品。
フランスでは砂糖が添加された炭酸飲料が対象で ” ソーダ税 ” 。
世界三大珍味のフォアグラは米カリフォルニア州ではレストランで食べることができないみたいだ。 理由は健康問題ではなく、ガチョウに無理やり餌を与え肝臓を肥大化させるという動物愛護からの禁止令。

私は酒のつまみ用の乾き物やスナック菓子は全く食べないのでヨーロッパへ行っても困ることはないのだが、飲んで帰宅してから食べる ” 雪見だいふく ” の規制だけは国会前でバリケードを張って、機動隊と闘ってでも阻止をしたい。

アメリカ人はジョギングをしたり健康への意識は高いと思うが、その後に2リットル炭酸飲料をガバガバと飲み、皿に山高く盛られたフライドポテトにハインツのケチャップをこれでもか!とかけている姿を見ると目まいがしそうだ。
デザートの砂糖菓子のようなケーキも貧血気味になる。

海外での寿司ブーム、私の大好きなコハダはアングロサクソン系の人は食べられるのだろうか?
コハダを口にするとき、必ずと言っていいほど想い浮かぶのは南こうせつの名曲 " 夢一夜 ” 。  ♪ コハダに片袖 通しただけで 色とりどりに・・・♪

少し風邪っぽい、卵酒の卵抜きでも軽く呑んで " 雪見だいふく ” を食べて寝ることにする。
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by w-scarecrow | 2013-05-08 20:49 | Comments(2)

渋谷円山町 とことことヒカリエへ 

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                     一昨日、10~22mm のワイドレンズを装着し、神泉駅で下車。
                     久しぶりに円山町界隈を歩いた。

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かつての花街、料亭風の木造の建物も何軒か残っている。 私が学生の頃は灯りが少なく、小料理屋とラブホテルの看板の光だけが灯っていた。
大きなライブスポットやクラブができてからは若者たちの姿がめっきり多くなった。

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高校時代から20代前半まで足繁く通った渋谷百軒店、JAZZ喫茶、ROCK喫茶、ムルギーカレー、中華喜楽、その時は千代田稲荷神社の前を素通りしていたが、初めて掌を合わせてきた。

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                     百軒店の入り口。 左手にストリップ小屋”道頓堀劇場”。
                     一度、仕事で入ったことがある。仕事といっても踊ったわけではなく
                     香港の女性監督を連れてストリップの実演をロケハンをしにきた。

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センター街へ、今は違う呼び方になっているみたいだ。 30代以上の女性の数が圧倒的に少ない。
きっと新しく出来た渋谷ヒカリエへ繰り出しているのかもしれない。

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                     防衛大生?が人気の的、私も学ランを着てくればよかった。

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渋谷では老舗のやきとり”鳥竹”、お昼を過ぎたばかりなのに赤ら顔のオジさんたちでいっぱいだ。

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東急文化会館跡にできた渋谷ヒカリエ。
高校時代のデートコースだった五島プラネタリウム、渋谷パンテオン、映画 ”嵐ヶ丘” を一人で観ていたら背広姿のオジさんが私の腿に手を当ててきた東急名画座があった場所。
今はこんな恰好いいビルになってしまった。
案の定、渋谷界隈にいた30才以上の女性の殆どが、このヒカリエに集まってきていた。
地下にある ”平田牧場” でトンカツを買おうと思ったが、売り場にも人が多く「ローストンカツ一枚ください」が言い出せなく引き返した。

東急フードショーで食材を買って実家へ。

「ま~なんて丁寧な役者さんなんだろうね。素直に反省して・・正直な人なんだろうね」
TV で二股を掛けてプロポーズをしていた役者の釈明会見が流れていた。釘づけの老母。
「ウソの涙に決まってんじゃん」
「お前はどうして・・物事をそう曲げて曲げて考えるんだろうか」
「素直ないい奴だったら、とっくにこの世界から消えているよ」
「あ~、やだやだ・・・どうして、そう・・」

買ってきた白玉あんみつを食べながら「宮根屋さんって何でいつも関西弁で喋ってんだい?」と時々、問いかけてきた。


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by w-scarecrow | 2012-05-04 09:56 | Comments(10)

若葉のころ

朝からおかきを並べて遊んでいた。
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                          豆   

                                おばあさんは きのう
                                明るい縁側で 豆を選った
                                虫食い豆を 一つ一つ
                                曲がった指で 摘まみ出した

                                おばあさんは ゆうべ
                                豆を水に浸した
                                「もとの自分にもどっていいよ」と言って
                                布巾を被せた

                                きょう おばあさんは
                                豆の入った鍋を 火に掛けて
                                そっと蓋をする
                                それから近くの椅子にすわり
                                背もたれに 寄りかかる

                                お鍋は ことことことこと
                                火は とろとろとろとろ
                                おばあさんも とろとろとろとろ

                                小春びよりのひるさがり
                                おばあさんは
                                固いものを
                                やわらかくする仕事を
                                している

                                                   山崎るい詩集 思潮社刊より

            
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そろそろ新茶の頃だ。 今年はどこの産地のものを買ってこよう。
多治見の作家、大江憲一さんの小ぶりな急須で味わってみようっと。

朝、駒場近辺を散歩してきた。 老夫婦が手を取り新緑の中をゆっくりと歩いていた。 むせぶような緑の匂い。
この頃になると決まって ビージーズの ♪ First of May (若葉の頃) ♪ の旋律がが頭の中で流れてゆく。
水筒に紅茶を淹れ、サンドイッチを作り、公園内の木のテーブルで食べたいが、少ばかり恥ずかしい・・・。
        
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by w-scarecrow | 2012-04-29 21:16 | Comments(10)

Tea Pot

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昨年の5月以来の、年に一度の東京での大中和典さんの展示会。
昨年と同じくポットを購入した。
煉瓦色のポット、立ち姿が新橋駅あたりの酔っぱらったオジサンみたいで愉しい。

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小田急線東北沢にある Patisserie Le Pommier でパティシエのF.マドレーヌさんが作ったマカロンを買ってきた。
以前「モンブランを一つください」と言ったら、「はい、シャモニーですね!」と笑顔で対応してくれた店だ。
モンブランと呼ぶのは日本だけみたいだ。 大久保あたりでは「モランボン」と呼ぶ。

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昨秋、青山の" うつわ楓 ” で購入した大中さんのポット。
北海道美瑛の丘の上にコロコロと転がっている牧草の塊みたいな色で、ミルクティーに合うかもしれないと想った。

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注器が好きだ。 ティーポット、片口、急須、宝瓶、鉄瓶、
ジョウロ・・・・。

お茶を淹れる順序だった儀式みたいなことが、なぜか愉しいみたいだ。
火に油を注ぐ、恋愛で悩んでいる人に「いい奴だと想うけどな、絶対!」と会ったこともない人を褒めて、恋心に油を注ぐのも好きみたいだ。


外は梅雨の暗い空、谷川俊太郎の詩に

「てんきのいいのは ふゆかいである
そらがぬけるように あおく
そよかぜがふくともなく ふいているのは
ひとをばかにしているとしかおもえない (後略)」というのがある。

そんな人をバカにしている季節があとひと月もすればやってくる。
スヤスヤと皆既月食を夢の中で見ながら眠れる梅雨の夜、一つ飛び越して、早く実りの秋が来ないかな・・・。
でも、桃だけは食べたい!!
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by w-scarecrow | 2011-06-16 23:58 | Comments(2)

Max Yavno

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Garage Doores
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Keyboards, San Francisco. 1947

Max Yavno(1911~1985) N.Y.生まれの写真家。
1930年代から生まれ育ったN.Y.のdowntownや南部、中西部の退廃的な街々、光り輝く西海岸の海辺の情景や移民・不法滞在者たち、中近東の人々の営みを大型のカメラに収めてきた。
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Chaves Raviine,Los Angeles. 1945
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Strange Tanks, 1947
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Ultra Orthodox Quarter, Jerusalem.1979
Yavnoの写真は被写体の建造物と正対した構図が多い。 斜に構えた写真が少ないのは美的な感覚なのか性格なのか・・。
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Golden Gate Bridge,1947
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Premiere at Carthay Circle,L.A. 1949
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Cattle Paths, 1978
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Sunday,Brooklyn,N.Y. 1941

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モノクロームのコントラストの強い写真、少し見づらかったかもしれません。

ロッキー山脈が見たくてコロラド州へ行ったときに買った写真集。
「シェーン、カムバック!」の映画に出てくるような山は見ることができず、山腹でスー族がのろしをあげている様子もなかった。

車で雄大な大地を走りたかったが免許を持っていない、いっそのことこちらで免許を取ろうとしたが、受験料の$20を持って、レンタカーを運転して教習所まで来い!とのことだった。
一度もエンジンをかけたことがないのに・・。
いきなり本番のテストで免許が取れるみたいだった。

今日は亡父の22回目の命日、22年前も冷たい雨の日だった。
父が好きだった白子を買ってきた。
天ぷらが一番好きなのだが、実家で作っていたように醤油とみりんと酒で煮る。
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by w-scarecrow | 2010-03-05 09:54 | Comments(4)