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ゴールデンウィークの最終日、成田空港に降り立った家族連れ、疲れきった様子でTVのインタビューに答えている。
定番の子供への質問「ハワイはどうでしたか?」「たのしかったっ」「一番楽しかったのはなんですか?」「ラーメンがおいしかった・・」
子どもたちは疲れきっている。
日々、スイミングや公文、ピアノにバレー、リトミック、サッカー、英会話、学習塾、彼らの一週間はマツコDX並みのスケジュールが組まれている。
外で近所の仲間と遊ぶなんて経験をしたことがない。
少子化対策? 一人の子で私の生活費の何倍もの教育費がかかるのだから二人、三人と子どもを持つのはとんでもないこと。
★私の小学校低学年、
近所の年上のお兄ちゃんたちが下校するまでは、缶蹴りも戦争ごっこも三角ベースもできず、アリンコの巣の穴を埋めたり仕立て屋のおばちゃんちで煎餅にお茶をいただき一緒にラジオを聴いていることが多かった。
三番目の兄の命令で白金三光町の愚連隊が攻めてくるので、泥団子を作っておけ!と渋々命令に従っていた。
一日が長かった。
★小学校中学年、
近所にあった " 劇団ひまわり " に稽古に来ている年の近い女の子たち、その中にはTVに出ている子もいてその姿が眩しくて眩しくて。
「僕もひまわりに入れて・・」と恐る恐る母に進言。「なにバカなこといってるの」の一言で終わった。
こんな大勢の家族がうろうろしている家はヤダ!と「僕、6年生が終わったら高野山のお寺の坊主になるから」と断言。
★小学校高学年、
TVでウィーン少年合唱団の透きとおるような声を聴き「お願いがあるんだけど、僕をウィーンに行かせてください!」決死の想いを伝えたが「この前は高野山、今度はウィーン?男はやりたいことがあるのなら一本に決めなさい」
少年野球だけはものたりず、調布のリトルリーグで硬式の野球をやりたいなど懇願したがすべて「よそんちはよそんち」で終わってしまった。
息子の限りないポテンシャルを軽~く消されてしまった。
初めて許されたのは中学3年生のとき、受験に向けて私の数学のレベルは小学生と変わらなかったので夏期講習だけでも受講させてと頼み、やっと塾というものに行かせてもらった。
楽しかった。勉強って面白いんだとやっとのことで知った。
昭和の時代、商売をしている家は別として多くの家庭は専業主婦。お父さんの月給だけて子供が3人も4人もいる家庭を養ってきた。
外食なんて法事のときくらい、兄弟の着るものはみなお下がり、従弟の服もあった。
豆腐と納豆と山芋、コロッケ、ライスカレー、魚の干物、たまに豚肉のすき焼き、今想うとつつましかった。母が支えていたのかもしれない。
さきほどご飯が炊けたピーという音が鳴った。
つつましい夕食、¥191の豚レーバーに¥37のもやし2袋、ちょっと高い¥138のニラを買い、レバニラとおかめ納豆のメシ。¥500を切る食材で2日分の夕食です。
レバーの下味に軽く五香粉をふると、少しだけ中華街の味。
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by w-scarecrow
| 2017-05-08 21:45
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