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winter's scarecrow

許鞍華(アン・ホイ)  李仁港(ダニエル・リー)

9月に開催された福岡映画祭でアジア文化の創造に貢献をした人物として許鞍華(アン・ホイ)が大賞を受賞した。
'90年代の初めのこと。李仁港(ダニエル・リー)から彼が撮影した写真集が送られてきた。
許鞍華監督作品『客途秋恨』の香港上映に併せての写真集であった。


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『客途秋恨』アン・ホイ(写真左)の自伝的物語。
ロンドン、マカオ、香港とロケをして最後の20日間は別府・湯布院・大分ロケ。
監督補として初めてアン・ホイ作品についた。
それ以前、ユーロ・スペースでアンの作品『望郷・ボートピープル』を観て切り口の見事さに感動したことがある。

香港映画には脚本(本になった)がないという。アンの作品にはちゃんとした脚本がある。
しかし撮影が始まると脚本はどんどん変わってゆく。
別府での撮影が始まって5日目、脚本のことでアンとぶつかった。その日の撮影は中止。
2日に一回、アンから脚本があがってくる。
私は撮影が終わると一風呂浴び、別府駅近くの居酒屋で呑んでいた。
いつも助監督の馬さんがアンの改稿した脚本を届けてくれていた。

アンとぶつかったのは言語体系の問題。確かなことは解らないが北京語と違って広東語を話す人たちは尊敬語、謙譲語の概念があまりないという。
アンからあがってきた英語の脚本を「できるだけ直訳にちかい形にしてほしい」と言われた。
たとえば「I love you」という台詞を日本人はそのまま「君のことを愛している」とは言わない。
日本人はもっと遠回しな言い方をする。言語表現がファジーである。


相手と自分の置かれた立場で言葉も変わってくる。朝まで話してアンが理解してくれた。
初めての仕事なので信頼度の問題もあったと想う。
次に撮った『極道追踪』(劉徳華 アンディ・ラウ主演)ではすべて任せてくれた。



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別府駅前の消防法に違反していそうなオンボロのビジネスホテルにスタッフ全員が宿泊した。
張曼玉(マギー・チャン)もその朽ちかけたホテルに泊まった。
日本映画では大女優にユニットバスの部屋をあてがうことなど考えられない。
日本の芸能界が特別なのかもしれない。
アン・ホイにつく以前はフランス、アメリカ人の監督についていた。
マリア・シュナイダーもミレーヌ・ドモンジョも打ち合わせには一人でやってきた。
日本のタレントとは違って管理してくれるマネジャーも取巻きもいない。

香港スタッフは皆、タフで明るい。
20~30代の初めという若さもある。ダニエルに「なんで皆、こんなにタフなの?」と訊くと「高麗人参を飲んでるから」結構、皆、高麗人参の分封を持っていた。
ダニエル(ア・コン=港さん)は美術兼スチールカメラ担当。
温泉が大好きである。「銭湯(別府は殆ど温泉)へ行きたいのだけれど入浴のシステムを教えてほしい」と言う。
説明するのが面倒なので一緒に行った。ア・コンはそれ以来、毎日の銭湯通い。
スタッフのなかでは一番、西洋的な感性の持ち主なのだが彼の書がすごい!

ダニエルは監督として『星月童話』では常盤貴子を起用して日本でも話題になった。
『猛龍』などのアクション大作も撮っている。

アンは『女人、四十』(アラフォー?)以降、今も精力的に作品を送りだしている。
ダニエルいわく「もっとも香港人らし香港人」 私は昔の日本人女性の風格と芯の強さを感じる。
撮影のときには皆にお茶を配って歩いている。彼女が東京にある日本語学校にお忍びで短期留学していたことがあった。
「私、クラスで一番高齢なんだけど成績もトップなの」のオチャメに話していた。
アンは香港で母親と二人で暮らしている。
お母さんは日本人であるが日本語をほとんど忘れてしまっているらしい。
それが日本語教室に通っていた理由だったのかもしれない。

いつも手紙に書いてくるアンの言葉「Keep your way」
by w-scarecrow | 2008-12-19 08:16 | 映画