芭蕉布
幕末、勝海舟と西郷隆盛が江戸の町を火の海にするか、江戸城を無血開城するかの歴史の大一番の会談が行われた三田薩摩屋敷、いつも気になるのが西郷はコテコテの薩摩弁を喋っていたのか?
それとも薩摩屋敷付きで人形町あたりで遊び呆けた江戸弁を得意とするちゃらい藩士に特訓を受けたのか?
通訳はいたのか?
それと江戸時代の吉宗あたりまでは殿様たちは結城紬を着ていたらしい。
吉宗が財政の立て直しに自ら木綿の着物を着だしたら、武士たちは絹織を着るわけにはいかない。
そんな流れは幕末までつづいたという。
海舟の小袖はいかにも木綿(絵を見ると)、西郷はどうだったんだろう?
紬の最高峰、大島紬には " 西郷柄 " という定番がある。
あの会談は木綿 vs 大島紬だったのかな~と想像する。
ボケーとチャンネルを回して(?)いたら NHK で芭蕉布の伝統織物を紹介する番組が流れていた。
なんて美しい織物なんだろう・・。
糸芭蕉というバナナと親戚の植物 200 本から一反しか生産できないという高級品。
素朴な色合いに軽くサラリとした風合い、風車、トンボ、ツバメなどシンプルな図柄がカジュアルである。
島流しにあった西郷どんも芭蕉布を着ていたという。
今や高級品の大島紬、芭蕉布。
江戸時代の庶民はなにを着ていたかというと木綿、貧しい人々は麻。
殆どの江戸っ子たちは古着屋かレンタルの小袖を着ていたらしい。
当時流行の日本橋・越後屋で現金で新品の反物を買えるのは昭和のバブルの時代に踊った人種と同じだったのかも。
いつか写真館で大島でも芭蕉布でも着てモノクロ写真に納まりたい。
広尾にある正庵の葛餅が無性に食べたい。
王子にある " 石鍋商店 " の久寿餅もいつか買いに行きたい。
頭の中はくずもちで埋まってきた。
*芭蕉布の写真は資料画像です
by w-scarecrow
| 2018-05-21 21:54
| そのほか