叔母さん

大好きな叔母さん、中学生のとき野球部のキャッチャーをやっていた私に、新兵器のキャッチャー・マスクを
新潟の西堀通りのスポーツ用品店で買ってくれた。
マスクの金具が細くて大きなマスク。感激だった!
小学生のときは叔母の編んでくれたセーターをいつも自慢げに着ていた。
新潟から送られてくる米や味噌や笹団子の荷物のなかに、リクエストをした二挺拳銃も入っていた。
亡父のすぐ下の妹、叔母は戦中、明治大学ラグビー部の名将北島忠治監督の家で間借りをして、奥さんの営む早稲田にあったお茶屋さんの手伝いをしていた。
そこで北島忠治監督の出身地・新潟の早稲田のラグビー部員の青年と知り合い学生結婚。
叔母の新婚の写真である。 出征=結婚。
叔母は新潟の教育者の家に嫁ぎ2人目の子を授かったときに旦那が交通事故で逝ってしまった。
昭和20年、終戦の年。
新潟に嫁いで3年目。 旦那が亡くなった後も嫁ぎ先から一歩も出ず、舅姑を見とって今も代々の家を守っている。
結婚生活はたったの3年間。
私の母は私のことを「おまえ」という、叔母は「あんた」という。
大学時代につきあっていた同級生が故郷の新潟の教員試験に受かり「帰るけど、いい?」「いいよ」と言った。
月に1回の新潟通いが半年間つづいた。
叔母はちゃんと状況を把握していて「あんたはあまのじゃくだから解らないと想うけど、女が里に帰るってこと、あんたは全く解ってないんだね・・」
と、シャキシャキの東京弁で訥々と言われた。
亡父が大陸へ出征するときに品川駅の軍用列車のプラットホームへ見送りに行けなかったことを今でも悔いている。
人生の殆どを新潟で過ごしているのだが、キップのいい東京弁が今でもほんと心地いい。
■
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by w-scarecrow
| 2010-06-11 03:02
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Comments(8)

セピア色の写真の中のお二人 お若いですね^^
たった3年間の夫婦生活で その後も婚家を離れることなく
嫁の立場を全うされた叔母さまは凄いな・・・と思います。
Wさんはキャッチャーをされていたんですか?
なんか怖そうで難しそうなポジションですよね・・・^^;
相手チームのバッターにつぶやいたりされていたんですか?(笑)
たった3年間の夫婦生活で その後も婚家を離れることなく
嫁の立場を全うされた叔母さまは凄いな・・・と思います。
Wさんはキャッチャーをされていたんですか?
なんか怖そうで難しそうなポジションですよね・・・^^;
相手チームのバッターにつぶやいたりされていたんですか?(笑)
この時代のお写真が残っているのは貴重ですね。
うちの両親の戦前の家族写真はすべて戦争で燃えてしまったそうです。
3年間の結婚生活だったとは切ないですね。それならいっそう
このお写真は大切なものになってる事でしょうね。
新潟に親類がいていいですね~ウチは完全に西日本にしか
親類はいないので関東・東北方面に行くことはないです。
新潟ならお米もお酒も美味しいでしょうね!
うちの両親の戦前の家族写真はすべて戦争で燃えてしまったそうです。
3年間の結婚生活だったとは切ないですね。それならいっそう
このお写真は大切なものになってる事でしょうね。
新潟に親類がいていいですね~ウチは完全に西日本にしか
親類はいないので関東・東北方面に行くことはないです。
新潟ならお米もお酒も美味しいでしょうね!

kiraraさん、まだ健在でいるので嬉しいですね。
旦那さんが亡くなってからの数十年、旦那さんのご両親と暮らしていた・・。
今では考えられないですもね。
今でも草野球でキャッチャーをやっていますよ。
つぶやきはしないですが、扇の要で偉そうなので好きです。
旦那さんが亡くなってからの数十年、旦那さんのご両親と暮らしていた・・。
今では考えられないですもね。
今でも草野球でキャッチャーをやっていますよ。
つぶやきはしないですが、扇の要で偉そうなので好きです。

yundesさん、大阪も空襲が多かったのでしょうね。
昔の人は小さい頃の写真は数多くは持っていなかったのでしょうが、それゆえショックですよね。
自分より一緒に写っている家族の想い出を失くしたみたいで。
まだ元気な叔母、東京弁と河内弁て似ている気がします。
喧嘩売っているみたいな抑揚で・・。
僕は関西に親戚がほしかったです。
今の時期は泉州の水なす、紀州の柑橘類、京の野菜や和菓子、羨ましいです。
昔の人は小さい頃の写真は数多くは持っていなかったのでしょうが、それゆえショックですよね。
自分より一緒に写っている家族の想い出を失くしたみたいで。
まだ元気な叔母、東京弁と河内弁て似ている気がします。
喧嘩売っているみたいな抑揚で・・。
僕は関西に親戚がほしかったです。
今の時期は泉州の水なす、紀州の柑橘類、京の野菜や和菓子、羨ましいです。

女が「故郷に帰ろうと思うんだけど・・・」って言う時は
「行くな」って言って欲しい時なのに・・・。
女が里に帰るって言うと、多分男は「俺じゃないんだ」って
思うんでしょうね。
そういう心の行き違いでいろんな男女の人生がクロスしない
んでしょうね。
今度女性からその手のことを言われた時はすかさず「行くな」
って言ってくださいね。
「行くな」って言って欲しい時なのに・・・。
女が里に帰るって言うと、多分男は「俺じゃないんだ」って
思うんでしょうね。
そういう心の行き違いでいろんな男女の人生がクロスしない
んでしょうね。
今度女性からその手のことを言われた時はすかさず「行くな」
って言ってくださいね。
女らしさって、こういう潔さというか男前なところだと思います。すてきな叔母さまですね。憧れます。
現在は金沢にいる私達。主人の実家は富山、私の実家は仙台。時々こういう話が出るのですが、もし、主人が先に逝った場合、私はどうすればいよいのか。(主人が10才年下なのでかなり低い可能性なのですが、笑)
子供がいないというのもこういうことを迷わせる原因かな、とも思いますし、転勤族の悩みでもあり、最終をどうしたら良いか、まだわかりません。叔母さまのように腹を据えて、かっこよく生きて行きたいです。
現在は金沢にいる私達。主人の実家は富山、私の実家は仙台。時々こういう話が出るのですが、もし、主人が先に逝った場合、私はどうすればいよいのか。(主人が10才年下なのでかなり低い可能性なのですが、笑)
子供がいないというのもこういうことを迷わせる原因かな、とも思いますし、転勤族の悩みでもあり、最終をどうしたら良いか、まだわかりません。叔母さまのように腹を据えて、かっこよく生きて行きたいです。

sumieさん、おはようございます。
そろそろ、次の目的地パリですね。
対女性、いつも楽観的に考えてしまいます。
男女の絆、ある時いとも簡単に切れてしまうものだと・・学習能力が足らないのかもしれません。
「行くな!」の一言keepしておきます。
そろそろ、次の目的地パリですね。
対女性、いつも楽観的に考えてしまいます。
男女の絆、ある時いとも簡単に切れてしまうものだと・・学習能力が足らないのかもしれません。
「行くな!」の一言keepしておきます。

amaさん、仙台、富山、米どころ魚の美味しい地域、羨ましいです。
大正生まれの女性は格好いいです。
amaさんの言われるように潔いのかもしれません。
その状況を自分に課せられた運命と感じているのでしょうね。
転勤族は大変だと察します。ご主人も若いですし、暮らす街々、時々をいっぱい楽しんでくださいね。
大正生まれの女性は格好いいです。
amaさんの言われるように潔いのかもしれません。
その状況を自分に課せられた運命と感じているのでしょうね。
転勤族は大変だと察します。ご主人も若いですし、暮らす街々、時々をいっぱい楽しんでくださいね。