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winter's scarecrow

冬に咲いた花なのに・・

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「これからシビヤに行くけど、一緒に行くか」
「・・行く!」
亡父はもちろん、「ひ」を「し」としか発音できなかった。
シビヤ=日比谷のときは皇居、 シヴィヤ=渋谷のときがデパートの食堂でオムライスが食べられた。

皇居から帰るときは有楽町のガード下で、ぬる燗をチビチビと呑みながら、
小さな末息子が焼鳥を頬ばって食べている姿を嬉しそうに眺めていた。

年をとってから授かった子供なので、兄弟のなかでも親といらる時間が少ない。
いつもスタスタと足速に歩く父の後姿を、小走りに追うのに子供ながら息を切らした。
手をつなぐことはしなかった。
おかげで駅で2度も迷子になり駅員室で待たされた。

8月15日、64度目の終戦記念日である。
あの戦争中、ずっと戦禍の中、軍服の胸に収めていたであろう軍隊手帳。

父は近衛騎兵隊に入隊した。 背が高かったのも騎兵隊に配属された理由の一つ。
天皇陛下、皇族を守る軍隊、中国大陸で落城した街に騎兵隊に先導され皇族が入城する。
馬に乗り長いサーベルをさした写真が何枚かある。

戦争の話は殆どしたことがない。
大陸へと出征するときに、どこで知ったのか芸者となり勘当された実姉が、万歳を三唱している品川駅の軍用列車のホームで、父に向かって大きく手を振っている姿を見つけ、最後だと覚悟をしたらしい。
召集がくる前に勤めていた小さな商社、そこで酒、醤油、味噌の仕入れの仕事をしていたらしく、そのときに汽車に乗って会津や宮城、新潟の酒造元を訪ねていく旅の話を楽しそうに話していた。

20代という人生の中でもっとも輝く時を奪われた。
父だけではなく多くの人の青春が奪われ、散った。

昭和天皇が崩御された2ヶ月後、父は逝った。
高校時代、戦争と天皇について何度か父に絡んだ。 答えはもらえなかった。
天皇を守る近衛の最後の使命をあの時、終えたのかもしれない。
 
「人を殴ったらいけないぞ、そいつにもいつも心配している親御さんがいるんだ、だから殴っちゃ駄目だ」といつも言っていた。
by w-scarecrow | 2009-08-14 19:39 | my back pages