winter's scarecrow

レバーペースト

日本人が日常的にレバーを食べるようになったのは戦後の闇市かららしい。
東京では焼鳥屋という名の焼トン屋さん、大阪では放るもん=ホルモン焼が統制外の内臓をお店のメニューとして出してから一般的になったらしい。
月島では今でもレバーフライを売っている肉屋さんがある。
豚の肝臓だけでなく腎臓も家庭で食べていた。 今、想うと貧しくともバランスのとれた食生活だったのかもしれない。
私はボンカレーとチキンラーメン、駄菓子を栄養源として大きくなった。
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先日、亡父の21回目の命日なので実家にお線香をあげに行った。
鶏のレバーが苦手な母に豚のレバーペーストと軟らかなパンを買っていった。
「平田牧場というところの豚のレバーなんで大丈夫だよ」
「牧場・・・?」
「美味しい豚肉で有名なとこで、トンカツ屋もやってて結構人気があるんだよ」
「牛や馬が走りまわっているところが牧場で、豚なんかは走っていないだろ」
「・・・(確かに)」
「豚は養豚場!」
「クマ牧場もあるし、最近はダチョウの牧場もあるよ」
「・・・・・・!」

いつも変なところで話が停まってしまう。結局、養豚場を牧場を呼ぶのが納得がいかないみたいだ。
80代の母とのいつものキャッチボールがなかなか楽しい。

毎朝、6時過ぎになるとベランダから雀のチュンチュクという鳴き声が聞こえてくる。雀の目覚まし時計。
以前は賞味期限をとっくに切れたそうめんを細くちぎって雀に与えていたが、ある時から一袋¥98のイタリア製のスパゲッティーの乾麺を与えていた。
それ以後、うちに飛んでくる雀たちはすっかりItalianになってしまった。 雑穀米を皿にのせておいたら1粒2粒つまんで「なーんだっ」という顔をして飛び去っていった。

夕暮れの頃、一羽だけで飛んでくる雀がいる。ガラス戸の向こうから部屋の中を覗き込む。
2度ばかり部屋に入ってきたこともあった。
細身のシルエットといい、人懐っこいとこといい、あの雀は亡父である。
亡父は洋食はあまり食べなかったが、ナポリタンは美味しそうに食べていた。

平田牧場の三元豚のレバーペースト、あっさりとしたなかにもコクがあります。
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# by w-scarecrow | 2009-03-09 22:13 | 食 + うつわ | Comments(4)

風を感じて

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Krzysztof Kieslowski (クシシュトフ・キェシロフスキ)監督作品、

『ふたりのベロニカ』 ポーランド・フランス合作作品。
イレーヌ・ジャコブ(ヤコブ)主演。 1991年、カンヌ国際映画祭主演女優賞受賞。

キェシロフスキ監督がベルリンの壁崩壊後、初めての西側との合作作品。

キェシロフスキは社会主義体制の終焉を迎えようとしていた1988-89年、テレビ放映用に制作された10話からなる『デカローグ』を撮影している。
私の観た全ての映画のなかで一番、心震わされた作品群。

10代のときにアンジェイ・ワイダ監督の『灰とダイアモンド』、イエジー・カワレロビチ監督の『夜行列車』を名画座で観て、あのポーランド映画独特の空気感に打ちのめされた。
ワイダやカワレロビチは先の大戦後のスターリンイズムの吹き荒れるなか、何度もの検閲を受けながらも体制へのプロテストを作品のなかに散りばめていた。
それは台詞で表す訳ではなく、人がいかにidentityを持ち、人間としての尊厳を保ちつづけていられるか・・それを演じる。 
そのこと自体が反スターリンイズムの映画となっていた。


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同じ年、同じ月日、同じ時刻に生まれた、二人のベロニカ。
ポーランドの田舎町に生まれ、合唱団でソプラノを歌うベロニカ、学生と警察隊が対峙している広場で西側から訪れた観光客のバスのなかに自分と同じ髪の色、容貌をしたもう一人のベロニカを見て立ち尽くす。
ベロニカは演奏会のソプラノの独唱をしている最中に心臓発作で命をおとす。

パリの郊外で生まれたもう一人のベロニカは行きずりの恋を捨て鉢に、自分の心の置場所を見つけられず暗澹とした日々を送っている。
音楽教師をしている小学校で、人形劇の公演にきた童話作家でもある人形師に運命的なものを感じる。
亡くなったベロニカに導かれるように、二人分の命を生きるように、本当の恋を掴もうとするベロニカ。


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アンバーな色調の映像でベロニカの心情風景を描いている。
歪んだガラスから見えてくる風景、歩く廊下や部屋の外光が射す光りがまだらに揺れている。
光りで幾重もの人々の心のアヤを表現している。
この映画では余分な効果音を殆ど使わず、ベロニカの足音を強調している。
ベロニカの歩みと躰に伝わってくる反響。
言論統制下で物づくりをしてきた作家の知恵と巧みな表現方法なのかもしれない。

『ふたりのベロニカ』の後、キェシロフスキは『トリコロール・三部作』を撮る。
社会主義体制下でも西側の資本のなかでも貫いているものは全く揺らいでいない。
1996年3月13日、心臓発作で54歳の命をとじた
いつまでもいつまでもキェシロフスキの風を感じていたい。

映画監督のなかで一番好きな監督を取り上げさせてもらいました。
映画をやっていた仲間が「Wさん、僕、映画を辞めて福井に帰ることにしたんです。田舎に好きな子がいるんです。色々と迷ったんですが、僕は女をとります。今まで観た何百本の映画がそうしろと教えてくれたんです」
と気絶でもしそうな名言を残して帰省した男がいました。
今は鯖江でメガネを作る職人として生きています。
これからスコットランドの超軟水の"DEESIDE"をチェイサーにアイリシュでも呑もうと想っています。
この超軟水、すごーく旨いんです。一度、試してみてください。
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# by w-scarecrow | 2009-03-06 23:17 | 映画 | Comments(6)

茶缶

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"gamla stans Tehandel"

スウェーデンのストックホルムの中心に浮かぶ小さな島ガムラスタンの紅茶屋"ティーハンデル"
『魔女の宅急便』のキキが移り住む街のモデルとなった旧市街。

去年の春、紅茶の茶葉を入れる茶缶を探していたとき代官山の"collex Living"に3色の茶缶があった。

缶だけでは売っておらず数種類の紅茶の中から好きなものを選べた。
甘い香りのやわらかな風味のフレーバーと緑茶の入っているフレーバーを選んだ。
初めて味わう北欧の紅茶、緑茶の香味が味を引き締めていた。

イラストレーターの山本祐布子さんのデザインで切り絵の雰囲気が感じられる茶缶、今はまた別のデザインの茶缶が登場している。
山本さんの新しいデザインを見るのが楽しみになってくる。
外では色々なブランドの紅茶を飲むのだが、家に居るときは"TEA Shop八月の鯨"の紅茶ばかりを飲んでいるので"ティーハンデル"を買ったときに何か浮気をしたあとの後ろめたい気持ちになった。

3月がはじまった。
花粉症はピークになると想うが、なんとも言い知れぬウキウキとした気持ちになってくる。
移動手段がほとんど自転車なので春の空気を感じ、いっぱい寄り道でもして新たな発見をしたい。
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# by w-scarecrow | 2009-03-01 20:22 | tea | Comments(10)

spring

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東京は午前10時過ぎからみぞれから雪へと変わった。

石原良純の予報がまたはずれた。

JR渋谷駅のホーム、右端の広末涼子の"Spring"の広告。

春をまじかにして広告はパステルの色合い。


だいぶ昔のこと、仕事の後輩たちと呑んでいたとき、
「Wさんは、どんな女の子が趣味なんですか?」と、少しだけ撮影がらみで訊かれた。
「そうだなー、真夏の炎天下、夏休みの部活で登校するでしょ。そのとき海辺の町の防波堤の横を一台の自転車が突っ走っていく、男子のように思いっきりペダルをこいでいる。陽に焼けた額の汗をぬぐいながら・・・。スポーツバックの持ち手のとこにだけ、すごく女らしさを感じる何かがぶらさがっってる・・・たぶん海辺の町にはおばちゃんたちの行くパーマ屋はあっても、普通の女子高生たちは理髪店で髪を切ると想うんだ。マセた子たちは県庁のある街の美容院へ行くと想うけど、その子は床屋で切ったただのショートカット。10代20代初め頃はそういう雰囲気をもった子が好きだった」
「解りました。潮くさくて短髪の女ですね。ちょっとどんくさい。具体的には誰のイメージなんだろ・・」
「広末涼子・・(!)」
後輩たちはみんな引いてしまった。 訊かなければ良かったという感じで「お姉さん!サワー3つおかわり!」
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JRと井の頭線を結ぶ通路にある岡本太郎『明日の神話』。
すごい迫力で圧倒される。自分の存在がほんとにちっぽけにみえてくる。
この真下に以前、東急フードショップがあった。そこの魚屋で高校時代の3年間、アルバイトをしていた。
自給も高く、仕事が終わると大学生の先輩がガード下の焼鳥屋に連れて行ってくれた。

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午後になったら、みぞれになり雨になった。

明日は友人の結婚式。
今、流行の一等地にあるチャペルとパーティースペースを併せもった欧風なフェイクな建物の式場。
できたらxx会館とか横浜中華街のxx飯店でやってほしかった。
引き出物にイタリアンのグラスをいただくより鯛と蒲鉾か焼売と月餅の方がシミジミーとして嬉しい。
でも素敵なカップルなのできっと幸せになってくれると想う。
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# by w-scarecrow | 2009-02-27 23:13 | そのほか | Comments(5)

吉野靖義 朝鮮唐津窯変湯呑

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              口径: 8.2cm 高さ: 8.7cm

『朝鮮唐津窯変湯呑』 鉄分を主成分とした黒釉とその上から白っぽい藁灰釉を流す。
そのコントラスト、境界線に生じる青や紫、黄色などの微妙な変化。
白と黒の朝鮮唐津は梅干壺のイメージがして好きではなかった。
ただ吉野靖義さんのこの窯変の湯呑、黄色の混じった緑色の発色、見事な窯変である。
このうつわでお茶や焼酎を飲んだらさぞかし美味しいだろうと想った。

吉野さんは佐賀県伊万里市の山間、櫨ノ谷という小さな村落で作陶されている。
桃山時代から江戸初期にかけて焼かれた素朴な古唐津の再現に力を注いでいる。
絵唐津に使う土はすべて頁岩(泥板岩)のみを唐臼で砕き、微粉末にして寝かせいる。
吉野さんの絵唐津の酒器もうつわも低温で焼いた土味ややわらかな風合いが独特な景色をみせています。

         吉野靖義
           1941年 佐賀県伊万里市南波多町高瀬櫨ノ谷に生まれる
           1970年 櫨ノ谷に開窯
                 古唐津の陶片を師として作陶を始める
           1999年 唐臼を工房内に設置。従来と異なった陶土、素材の研究を始める
           2007年 古唐津の持つ風合いに近い、新しい焼成法を見出す

陶器を作る作家さんの個展に行くと見事に30代以上のおじさんばかりである。
磁器とModern Artといわれる作家さんの個展は圧倒的に女性が多い。
tea cupは磁器がいい、煎茶やcoffeeを飲むときは口当たりのやさしい陶器を選んでしまう。

毎朝、FM放送を聴いています。
2月、3月と別れや卒業の時期、そして桜。  想い出、別れの曲が多く流れる。
アンジェラ・アキの♪拝啓、十五の君へ♪が毎日、流れている。  未来の自分に宛てた手紙の曲である。
私たちの時代の卒業式は勿論「仰げば尊し」と「蛍の光」。
なんで蛍が光っていて窓の外は雪なんだ!と疑問に思い、涙なんてこぼれてこなかった。
♪拝啓、十五の君へ♪を卒業式で歌える十五の君たちが羨ましい。
未来の自分へ宛てた手紙なら、きっと泣けた。
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# by w-scarecrow | 2009-02-25 22:09 | うつわ | Comments(6)

便利なまな板

joseph josephのRinse&Chop.

先日、TVで便利なキッチン用品を紹介していた。
まな板で切った野菜を鍋やフライパンに移すときに、いつもポロポロとこぼしていた。
これで解消。
魚や肉はいつも通り木のまな板で切る。

      普通のまな板と同じように、好きなものをのせる。
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      好きなように切る。
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      そして、まな板をこの形にたたみ、切った野菜をお鍋やフライパンに投入。
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      このまま水道で水洗いをしてもよし。左の穴で水切りもできる。
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¥2000

これで野菜を切るのも楽しくなります。楽しくはないかな。
昨日もTVで豆腐をきれ~に均一にカットできるグッズを紹介していた。
豆腐はまちまちの大きさでもいいかぁ。

joseph josephやFranc Francというブランド名、なにか引っかかる。
ガレリオ・ガリレイや中京大中京みたいで親しみをもてるまで時間がかかりそうだ。
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# by w-scarecrow | 2009-02-22 15:56 | そのほか | Comments(8)

谷内六郎

8年前に阿佐谷の古本屋さんにあった『谷内六郎展』の画集。久しぶりに開いてみる。
頭のなかの鬱々としたものがゆるやかに解かれていく。
ノスタルジーに浸るわけでもなく、だだ昔の情景を懐かしむわけでもなく、肩にかかった少しの重しを降ろす。
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     谷内六郎、
     1921年(大正10年)東京市豊玉郡渋谷村(今の恵比寿)で九人兄弟の六男として生まれた。
     私も恵比寿で生まれ、四男。なぜか親しみがわく。

夕映え 1965年
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     小さな頃から喘息に悩まされ、病床で過ごすことが多かったという。
     千葉・御宿の知人宅で療養生活をしいられ、そのときに焼きついた漁村、山、海の風景を絵にしたものが多い。

枯葉のバレー 1959年
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     六郎はミッキーマウスを描くのが好きだったらしい。
     14歳の頃から「キング」「少年倶楽部」等に漫画を投稿して度々の入選。
     16歳のときは報知新聞に半頁大の漫画が掲載され漫画家で生きていくと決心。

電車カバンを買った日 初期
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     戦後は持病の喘息も快方へ向かうが、その後も再発を繰り返す。

夜の公衆電話 1959年
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     週刊新潮の創刊と同時に表紙絵を担当、以後25年にわたり1336枚の絵を描きつづけた。

シーッきじがいる 1971年
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      1981年、谷内六郎逝去、59歳。
                            <サンケイ文化センター発行、谷内六郎展より>

寒い季節の絵を選んでしまいました。
風の心地よさ、土の温かさ、雪を踏む靴音、闇夜に黄金色に光る電球、人々の営みのやわらかな空気感。
そんなものを十分に感じ本を閉じます。
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# by w-scarecrow | 2009-02-20 20:47 | my back pages | Comments(6)

のどぐろ

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なんとも可愛いらしい顔かたちをした日本海の高級魚のどぐろ(アカムツ)。
焼いた干物の脂ののった白い身に醤油を少しだけ垂らす。
垂らした醤油が沁みこまずに弾かれる感じがする。

北は新潟県沖。島根、山口県沖ののどぐろが有名である。
金沢の近江町市場あたりで買うとやたらと高い。



美味しいアジの干物が食べたいと思った。
関東でいえば相模湾の海沿いの町で小さな魚屋さんが自家製の干物を干している光景をよく目にする。
小田原、網代、真鶴、伊豆。

オバQ(小田急線)に乗って小田原あたりで干物を買いに行こうと思ったことがある。
その前にお店の下調べをしてからにしよう。
相模湾のアジは"キアジ"と言って金色に光るらしい、
アジは本来、回遊性を持っているが相模湾のアジは伊豆から大磯までの岩礁域に居ついているという。
だからメタボになるのかもしれない。
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相模湾のキアジは高価でもあり、近年、漁獲量も減っているらしい。
老舗の干物屋や加工業者は肉厚な長崎・対馬沖や五島列島で獲れたアジを干物用に使っていることが多いみたいだ。
だったら相模湾のアジにこだわる必要がない。





一昨年、アジとのどぐろを一緒に注文できるお店を探していた。
島根・浜田港にある河野乾魚店
のどぐろは1尾¥600~2500。
¥600のものでも十分美味しい。もっとメタボなものならさらに脂がのっていて堪りません。
島根県沖で獲れたアジの干物も旨い!

最近、"さかなくん"をTVであまり見かけなくなった。
一度、焼酎でも呑みながら"さかなくん"からいっぱい魚の話を低い声で聞かせてもらいたい。
私は魚釣りは海でも川でも未だしたことはなく、縁日の金魚すくいしかしたことがありません。

かつて寅さんシリーズで寅さんが捕鯨船の船長を捕まえて「あれかい船長、クジラっていうのはやっぱりミミズで釣るのかい?」と訊いていた。
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# by w-scarecrow | 2009-02-17 22:01 | 食 + うつわ | Comments(6)

がらす玉

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『子どもはこわす』

きみはこわす
昨日まで大事にしていた玩具をこわす
私のひとつしかない時計をこわす

きみはこわす
小さな体のありたけをこめて
私たちの家すらこわす

きみはこわす
恐れ気もなく
自分をこわす

こわすことでつくってゆく
つくることでこわしてゆく
きりもなく

素手で




谷川俊太郎「父の歌」より





昨夜遅くの電車、お洒落な小さな紙袋が目にとまった。
フランス語で書かれたロゴの袋。
サラリーマンというより役所勤めの身なりをしたお父さんが座席に座り、子どものような健やかな顔をして眠っている。
指に掛けたチョコレートの紙袋ががゆやゆらと揺れている。
心地よい酒の酔い,"義理”ではなく"まじ"だった頃を想い出しながら眠っているのかもしれない。
がんばれ、日本のお父さん。 どうしても辛くなったときは川柳でも書いて応募しよう。
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# by w-scarecrow | 2009-02-14 13:05 | | Comments(6)

宇宙研

目黒区、渋谷区、世田谷区の区境を走る"宇宙研通り"。
一時、Hanakoで"コスモス通り"という名称で紹介されていたがどこにもコスモスなんて咲いていない。
今は東京大学駒場リサーチ・キャンパス、以前は東京大学宇宙航空研究所と呼ばれていた広大な敷地の前を走っている。
井の頭線の駒場東大前、池の上、小田急線の東北沢、代々木上原、どの駅からも10分くらいの距離である。
実家を出て初めてのひとり暮らし、この通りにあった松田優作の「探偵物語」の主人公・工藤ちゃんが住んでいそうな朽ちかけた鉄筋コンクリートのアパートに住んでいた。2K風呂なし。
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宇宙研の正面に宇宙人みたいなフィギュアを制作している会社がある。
ヒョウ柄のジュリアナ系のフィギュアがなんとも悩ましい。
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昨日、ゆうパックの不在の為のお預かり書が郵便受けに入っていた。
<食品> とだけ記されていた。
チョコレートだったらちゃんと14日に合わせて発送してくれればいいのに!と想いながら本局へ。
「運転免許証か身分を証明するものを」と必ず言われる。運転免許証がない私にはこれが少しばかりこたえる。
デパートのレジで「高島屋カードはございますか?」と毎回訊かれるのと同じくらいズンとくる。

履歴書を書くときは幼稚園から26歳まで学生をやっていたので履歴の欄はうまるのだが、資格や免許の欄は真っ白でレイアウト的には納得いかない。

今の子供たちは習い事や塾でベッキー並みのハードスケジュールをこなしているが、私は塾へ行ったのは中3の夏季講座だけ。
習い事は小学生のときに「ケイコちゃんと同じピアノ教室へ通いたい」と母へ申しでたが即脚下。息子のポテンシャルを無視された。
高学年になってから「どうしてもウィーン少年合唱団に入りたい!」と言ったがまた脚下された。

「お前は落ち着きがないから書道教室へ行きなさい」と無理やり通わされた。
黙々と墨をすり、何回も「希望」という文字を書いている。
あまりにも退屈なので自分の歯に墨を塗り「お歯黒~!」と遊んでいたら破門された。
それ以来習い事は苦手である。

最近はパン作りの教室へ通いたいと思ったり、日本茶インストラクターの資格を取ろうかなと考えていた。
でもピアノを習いたかったときと同じでうちにはパンを焼くオーブンがない、日本茶インストラクター資格を取るには教材費に6万!もかかる。お茶も飲めなくなってしまう。
資格、免許の欄は空白のままでいいのかもしれない。

年寄りは食が細くなってきているので具だくさんのスープがよいと想い、先日老母にミネストローネを作った。
母の年代はトマトベースのスープは食べ慣れていないので不安だったが美味しそうに食べていた。
「イタリアの蓮根って軟らかいんだね」と言っていた。
車輪の形をしたマカロニ(ロテッレ)のことである。
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# by w-scarecrow | 2009-02-11 11:10 | もの | Comments(10)

はかなさ

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Newsを見ているのが辛くなってくるときがあります。
なんで、そんなに簡単に殺人事件が起こるんだろ。
なんで官僚は堂々と誰が聞いても嘘、ごまかしの発言をするんだろ。
それがまかり通ってしまう茶番。
韓流ブームと相まって小泉ブーム。
いたるところに群集ができていた。

うちの前にいつも60代後半のおばちゃんが夕方5時頃になると植え込みの前に座って文庫本を読んでいる。
施設からの送迎バスの停車場になっている。
毎日、40才を越えているであろう息子を待っている。傘を差し本を読んでいるとこもある。

「痛みを伴う改革」と言っていた。
これから子供を産んでどう育てていくか、その根底を削られてしまった。
生きていて希望を割かれる痛みをなぜ是としたんだろう。
人としての希望だけは失ってほしくない。

ヘッドホーンをしてメールを打ちながら自転車に乗っている。
ながら文化。
自分だけの小宇宙。
自分だけの価値観。
それに浸っているのは一部の若者だけではありません。
官僚たちの言葉を聞いて言葉遊びの儚さを感じます。

自分さえ・・。

今日は嘘を正々堂々と言える世界がすごっ!と感じた一日でした。
にんべんに夢と書いて「はかない」それは嫌です。
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# by w-scarecrow | 2009-02-04 01:52 | そのほか | Comments(8)

でんわ

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すごく小さな電話器。
16.5x12cm.
小さいながら十分な機能が詰まっている。

部屋の片隅にでも机の上でも
どこにでも置ける。

ふたを上げるとプッシュボタンがくっきり。

FAX電話が限界にきたので買い替えのため新宿の量販店へ。
できる限りコンパクトなFAX電話を探す。
ほとんどの機種がシルバーのプラスティク。
プリンターと一緒ですぐに欠けてしまいそう。

隣で木下優樹菜風のおねえちゃんと乗りの悪いヒップホップ青年。
「あたし思うんだけど、なんで今時Faxなの?いつ使うの?誰に送るの?」
「♪一応、付いてたほうがいいじゃん・・♪」
「メールで充分じゃん。それにあんた字書かないし、字読まないし、いらないじゃん」

そうだ、そうだ。
今時、Faxは必要ない。もっとも。
彼女の言葉で目が覚めた。やめた。普通の電話器にしよう!
チョリース!
格好悪いので近くにある別の量販店で購入した。

実家では少し前まではまだダイヤル式の電話器があった。
098xxxx,九州の友だちに電話するのは少しの我慢が必要だった。
大きい数字と0は回転して戻ってくるまでが長い。やっぱり長距離なんだなって想っていた。

東京は昨日からの強風のため雲ひとつなく、部屋からも富士山がくっきりと見える。
今日は美味しい蕎麦を食べに行く。カレー南蛮には目もくれず「ざる蕎麦」にする。
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# by w-scarecrow | 2009-02-01 10:07 | もの | Comments(4)

たけくらべ


湯島天満宮(天神)
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男坂、女坂の梅はまだ蕾。

境内へ入ると蕾の開いた白梅がわずかに観ることができた。

学問の神様菅原道真を祀っている神社。
時期もかさなり受験生たちが多かった。
チャリーンと音がした。
おばちゃんが財布から賽銭を出そうとしたのか、落ちてしまった。
受験生がさっと振り向く。
ここでは「落ちる」「落とす」という言葉も行動もタブーである。

私も願い事を絵馬に記そうと思ったが色恋沙汰を祈願した不謹慎な絵馬は一つもなく断念。









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湯島天神から、ゆるやかな坂道を歩き本郷3丁目交差点へ。
"江戸あられ"という看板、昔ながらの硝子ケースに焼き上げたあられや煎餅が詰まっている。
そんな古めかしい店が二軒もあった。

明治の文豪たちの小説によく登場する"菊坂"を下ったあたりに嘗ては長屋が連なっていたと想わせる一帯にでる。
二葉亭四迷、竹久夢二、坂口安吾、梶井基次郎らが暮らしていた。宮沢賢治住居跡と記されたプレートもあった。


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そして路地を曲がると明治時代からの下宿屋が向かい合って建っている。
本郷菊坂70番地。現在は文京区本郷4-32。

樋口一葉が住んでいた建物が現存している。(左側)
16歳の頃から和服の仕立て、洗い張りで生計を立て一家を支えていた一葉。

『たけくらべ』を執筆したのもこの下宿屋である。

吉原の廓に住む、いつかは遊女になることを運命づけられた14歳の少女と僧侶の息子との淡い恋。
やがて僧侶になるための学校へ行くことになった少年は少女の家の窓に水仙の花を差込み、この町を去ってゆく。

隣町である丸山福山町へ転居した一葉は24歳の命を閉じる。





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菊坂をのぼってゆく。
この界隈は帝大に近いこともあって多くの下宿屋があったという。今は姿を変え旅館になっているところもある。
石川啄木と親友の金田一京助が暮らしていた下宿屋もこのそばにある。
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東京大学を抜けて池の端方面へ。
東大生は男女を問わず黒髪の学生が多かった。女子は軽く染めているのかもしれないが男子は金、銀、茶髪は殆どいなかった。
EXILE風もいない。新鮮な驚きがあった。
彼らはいつの日か日本という国を背負い、やがて"渡り"となって暖かな越冬の地へと飛び立ってゆく。
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不忍の池。
大の苦手な鳥さんたちの楽園。足元にも頭のすぐ上にも我がもの顔で飛んでいる。
忍ぶ。
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らーめんと北大路魯山人が共存する街、上野。
明治の香りを今も残す本郷界隈。
昭和の懐かしい顔をもつ池の端。

歴史のある町へきて蕎麦を食べず、なんでcoco壱のハンバーグカレーにしたのだろうか後悔が残る。
会計をするとき一葉を出すのを躊躇い、諭吉にした。

神田末広町から地下鉄に乗り有楽町のガード下で焼鳥で一杯と想ったがまだ陽は落ちていない。
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# by w-scarecrow | 2009-01-29 20:28 | 散歩 | Comments(11)

定番

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VIRON,PAUL,フランスのパン屋さんがいっぱい上陸してきた。

家にいてParisのcafeにいるような錯覚に陥る。
フランスから直輸入した小麦粉で焼いたパンを食べカフェオレを飲みながら、みのもんたのTVを観る。Le cafe Monta

写真のサンドイッチはアンデルセンのパリジャンサンド。
「フランスパンってこんなにパリパリしているんだ」と感動した20数年前。
アンデルセンが広島のパン屋さんだったとは知らなかった。
'70年代初めに東京の青山に進出している。

今は"パリジャンサンド"とは呼んでないのかもしれない。
本場物のサンドイッチがいつでも食べられるが、今でもアンデルセンのこのサンドイッチが定番である。価格的にも嬉しい。
今日こそはVIRONの食べごたえのあるサンドイッチを買って帰ろうと思うのだが財布の中をのぞいてしまう。
そして庶民の味方アンデルセンへ。
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# by w-scarecrow | 2009-01-25 12:19 | 食 + うつわ | Comments(13)

さりげなく

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河村喜平 『窯変』

愛知県豊田市で作陶されている河村喜平さんの酒杯と湯呑。
丁寧なロクロで薄く、使い手の手にしっかりと馴染む感触に作られている。
白い化粧土との鼠色、褐色の織りなす雄々しい景色をみせる杯、砂を含んだ土が穏やかな大地を想わせる湯呑。
私の手元にいつも置いてある河村さんのうつわ。
いつもさりげなく、静かに佇んでいる。

         1961年 陶芸家・河村又次郎氏の次男として豊田市に生まれる。
         1966年 鎌倉市(北大路魯山人陶房跡)に移転。
         1986年 武蔵野美術大卒業。
         1998年 豊田市平戸橋で祖父と父が作陶した"さなげ陶房"を再興。
         2000年 喜中窯を開窯。

         『酒杯』 口径:6.7cm 高さ:4.8cm  『湯呑』 口径:7.6cm 高さ:7.7cm

      喜中窯  河村さんの作品が見られます。

今朝、4時過ぎに起きて米大統領の就任式を見た。
連邦議会議事堂前に集まった100万超の人々の歓声、ベルリンの壁崩壊の一歩となった東欧の民衆が広場や議事堂前で「Freedom」と叫びそれが渦となった。
その声が大きなうねりとなって変革(崩壊)をもたらした。あの光景が浮かんできた。
何かが変わっていく第一歩だと信じたい。そしてあまりにも多くの失ったものを取り戻す第一歩であると願いたい。
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# by w-scarecrow | 2009-01-21 09:06 | うつわ | Comments(4)

turkey

昨日、買い物に出かけようとしたら大勢の警察官が周囲3-400mを通行止めにし住民たちを避難させていた。
解体中のアパートの地中から不発弾が見つかったとのこと。ヘリコプターが旋回し自衛隊のトラックまて出動してきた。
はじめは映画の撮影だと疑い青島巡査、室井さんや湾岸署の面々を探したが、お巡りさんたちがエキストラらしくなく拳銃も作り物ではなかったので納得。
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ターキーの胸肉を買ってきてクリーム煮を作った。
もさもさした食感が苦手な人もいると想います。
Milwaukeeというドイツ系の人々が多く住むアメリカ北部の街、樹々が多く古きよきアメリカの風情が残る街に住んでいたことがあります。
夕食は学生食堂でターキーのクリーム煮かPizzaばかりを食べていた。それ以外に口にあうものがなかったのも理由。
さすがビールの街、学生食堂でもビールが飲めた。地元のOld Styleというビールが旨かった。
ラテン系の人々が多い街なら日本人にあった食事ができるが北部の街にはまだ少なかった。
なんでアングロサクソンは食文化が希薄なんだろうといつも思う。

Boris Vian(ボリス・ヴィヴァン)の『うたかたの日々』という小説を久しぶりに読み返してみた。
お金持ちの青年と美しい娘が出逢い結婚をする。やがて妻は難病にかかってしまう「肺にスイレンの花が咲いている」という。
療養をする部屋には高価なスイレンの花で埋めつくさなければならない。
男は高価な花を買うために初めて働きにでる。やがて男は辛い労働で痩せ細ってゆく。
現実離れした内容だが描写のすごさ構成の面白さで最後まで引っ張っていかれる。
Boris Vian,フランスの夭折した作家・詩人、シャンソンの有名な曲『脱走兵』の作詞者としても有名である。
20数年ぶりに読み返し、当たり前ではあるが感じ方が違ってきている。あの頃は人物に目がゆき、今は表現に心惹かれる。

東京は曇り空。
朝はクリーム煮を食べ過ぎた。夜はきしめんにでもしようっと。
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# by w-scarecrow | 2009-01-18 23:25 | 食 + うつわ | Comments(10)

白金

プラチナ通りから外苑西通りを下っていくと白金6丁目にでる。
ランチを終え昼下がりのお散歩を楽しんでいる人々の街から作業服に爪楊枝をくわえた職工さんたちが闊歩する町へ。
かつてはこの一帯は白金三光町という地名だった。
恵比寿から白金高輪駅へつづく道。北里通り(恵比寿の住民はえびす通りという)明治通りと200mくらいの間隔で平行して走っている。
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白金台と南麻布の高級住宅街に挟まれた町。最近はお洒落な店がこのあたりにも増えてきた。
渋谷川沿いには町工場がいっぱいあった。機械をまわす音、鉄を叩く音。メッキのにおいや油のにおいに包まれていた。
作家の藤田宜永の初期の作品はこの町を舞台にしたミステリーが多い。
雑多な人々の住む町、人情味溢れるミステリーで面白い。
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この通りは聖心女子学院の小・中・高校生や慶応幼稚舎の生徒たちで登下校時は溢れている。
小学1年生くらいまではこの商店街に毎日、母のあとについて夕食の買い物にきていた。
魚屋さん、豆腐屋さんは毎日、母がご機嫌なときは『大久保だんご』で"すあま"を食べさせてくれた。もちろん赤いすあま。
そのころ、どうしても小学校に上がったら制服が着たかった。慶応幼稚舎に入れてくれと母に頼んだ。
「いいかい、聖心は両親のことをお父様、お母様と呼んでいる家の子でないと入れてくれないし慶応もパパ、ママと呼んでなければ入れてくれないのよ」
「だったらうちもパパ、ママにすればいいじゃん」
「お前の好きなケイコちゃんは私立じゃなくてK小(区立)にしたみたいよ」
急所を突いてきた。息子の性格を熟知している。女によわい。

高校受験のときは皇族の方々が通われているG高校を受けようかなと言ったら間髪を入れず「それは駄目。駄目。参観日に着ていく着物がない」との即答。
察しはつくと想いますが母はTHE B型です。
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北里通りからちょっと入ったところに戦中から店をかまえている『中華楼』がある。
これぞ東京のラーメン(支那そば)の味。
鶏だしのさっぱり味。どぎつい和風だしなんか入っていない。
ラーメン¥350 ワンタンメン¥450

一番のお奨めは"五目やきそば"やわらか麺の方 ¥550
キャベツと五目野菜のかるいあんかけ焼きそば。絶品です。

『中華楼』
港区白金6-1-9 金曜日定休。
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# by w-scarecrow | 2009-01-14 21:27 | 散歩 | Comments(6)