winter's scarecrow

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やぶ、砂場で


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                        大阪屋砂場本店が見える        



「あ~、美味しい蕎麦が食べたい・・」
と、いつものように思うのだがご近所には、腰のない風味もないもり蕎麦をたべさせる店しかない。
丼物や黄色いルーのカレーライスを食べるにはもってこいなのだが・・。

重たい腰をあげて神田や麻布、上野、浅草にある老舗御三家・砂場、藪、更科などの名店まで足を延ばすには荷が軽い。

昔から蕎麦は " 小腹の空いたときに、さっとたぐるもの " といわれている。 

でも小腹の空く時間はだいたい午後3時頃、蕎麦屋はこの時間は中休みに入っており営業中の店を探すのは難しい。

信州や山形の蕎麦屋で出される大きく盛られたもり蕎麦は東京では少ない。悲しいほど軽くそばがザルやせいろに盛られている。

「江戸っ子は寿司と蕎麦で腹をはらしちゃいけないよ」と店主の声が聞こえてきそうである。

昼下がり、慎ましく紳士的なご老人が板わさを肴に燗酒をちみちみとやり、最後に天ざるを食す、そんな粋な画が浮かんでくる。

待ってました!とガツガツしてはいけない、軽~く盛られたもり蕎麦を味わいながら最後の一本までつまんで箸を置く、そんな食べ方をしなければいけない。

亡くなった柳家小さん師匠が言っていた「蕎麦屋でざる蕎麦を食っていたら、店じゅうの客の視線が私に集まって、食いにくいのなんの、そばつゆをたっぷりつけて食べられず、食った気がしなかった」


今日は30度を越すみたいだ。
神田や美味しい蕎麦屋のある町に用があればいいのだが、ない。

歩いて10分、天下の立食い・富士そばがある。ガツガツと蕎麦を食らうにはもっこいだが、たまには香りある蕎麦が食べたい。
聳える富士より、藪や砂場の方が遊び心をくすぐる。

 




by w-scarecrow | 2017-05-30 12:38 | | Comments(2)

戀 文



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5月23日は誰が決めたか " ラブレターの日 " らしい。

中学生の時からラブレターを「これでもか!」ぐらいに書きしため、この分野では私の右に出る者はいないだろう?!
記念切手を買い、伊東屋へ行って渋いタッチ、かわいらしい図柄の便箋や封筒を買い、夜中に書いたラブレターは寝静まった町のポストに投函する。 朝、起きて読みかえしたら多分、伊東屋の彼女宛てのラブレターは必ず破ってしまうから。



「あなたの懐に飛び込みたい気持ちなのですが、自分も一個の男子としてそんな弱い姿を見られるのは恥ずかしくもあり・・」

体裁ばかりを気にした弱弱しい文面、これを愛人に送ったのが真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令官・山本五十六である。
軍人としてのプライドを捨てた、清々しい恋文なのかもしれない。



「将来にむかって歩くことは僕にはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは倒れたままでいることです」

こんな真っ暗なラブレターをもらった女性はどんな思いだったんだろう? 〝 変身 ” を書いたフランツ・カフカの恋文。 超ネガティブな人間、結構、母性本能をくすぐるのかもしれない。この線ありかも。



  「ふさ子さん、ふさ子さんはなぜ、こんなにいい女体なのですか」

こんなヒップホップな文を書いた、斎藤茂吉に乾杯! 弟子の永井ふさ子(写真で見るとほんと別嬪さんです)への恋文。


この十数年、ラブレターを書いたことがない。机の引き出しに眠る伊東屋の便箋たちの「早く世に出して!」の声が聞こえる。



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渋谷道玄坂、109裏に " 恋文横丁 " という狭い小路があった。 戦後、進駐軍の兵士のへのラブレターを代筆する店があったところ、今はくじら屋の横に記念碑が立っている。

道玄坂恋文横丁を反対側に渡り、少し奥に入ると " 長崎飯店 " という老舗のチャンポン、皿うどんの絶品の店がある。
先週、TV " 孤独のグルメ " の井之頭五郎がこの店を訪ねていた。
なんか嬉しく、嬉しくて。

大学時代、同じ道玄坂にあるヤマハ渋谷店で輸入盤 JAZZ レコードの新譜の仕入れと補充を任されていた。Rock&Bluesを任されていたのは後々も付き合いがつづく平川雅夫さん。

R&BやBluesの数々の隠れた名盤を教えてもらった。 その後何年も音楽情報交換やよく知る家族の話で楽しい時間を共にした。
平川さんはその後、今や Hip Hop,R&B界の聖地となった Manhattan Records を渋谷宇田川町に創立。

ヤマハでのバイトは夜9時を過ぎて残業をすると店屋物の飯を注文することができた。 私と平川さんはもちろん長崎飯店の皿うどん。 世の中にこんな旨いものがあるのか!と残業の日々。 旨かった~!

19歳からの私に大きな衝撃を与えてくれた先輩は 2014年、故人となった。


Manhattan Records の裏奥に、Guinness Records というレコード屋を開いた瀬場潤、その後、Nujabes (ヌジャベス)といアーチスト名で数々のすばらしき音楽作品を世に送り出した。

2010年、彼も38歳で夭折してしまった。 宇田川町の音楽村、そんな彼らに想いを馳せる。 ありがとう。



Nujabes / Reflection Eternal



渋谷・道玄坂・長崎飯店の絶品皿うどん。松重(井之頭五郎)さんが訪ねてしまったので2,3ヵ月は混むんだろうな~。 潮が引いたころにまた行こうっと。

 


by w-scarecrow | 2017-05-22 21:49 | そのほか | Comments(2)

サラダ


柳原可奈子風の女の子が少し年上の男と和風サラダをつまみながら呑んでいる。
「やっぱ、男の人って普段、生野菜を食べることは少ないでしょ・・でも重たいものを食べる前に生野菜を摂っておかないと代謝が・・」

どう見ても普段、生野菜を摂る子には見えない。
野菜といってもメインの皿の添え物につく、大きく盛られたポテトフライ。
そして炭酸類(サワー)をガバガバと飲みソーダ。

「レストランへ行ったときはまずサラダバーへ行って・・」
レストラン? そうかフォルクスかガストの食べ放題のサラダバーだ。彼女は間違いなくサラダが好きではない。 ポテトフライが好きだ。

そんなあげ足をとりながら、サラダに想い巡らす。


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美容院で髪をカットされながら、いつもESSEやCREAのお洒落なライフスタイルのページをめくっている。 女性誌しかないので。

四万十川の岩海苔と醤油味のニラ玉に大根と揚げの味噌汁の朝飯。
そんなしみじみっとした私の日常生活(ライフスタイル)ではなく、たまには雑誌から抜け出たようなスタイリッシュな朝食をと、さりげにPapasで買ったシャツでも着て食べてみようと、エッグベネディグトを作ったこともあった。

ベランダから見える風景は六本木ヒルズからの眺めのように一瞬見えたが、向い家の奥さんが物干しに干した布団をパンパンとリズムよく叩いていた風景だった。

お洒落な朝食を作るには時間と食材費がかかる。サラダにもよく知らないカタカナ名の葉っぱものせなければいけない。



20代のころ、アメリカの片田舎のダイナーでエリザベス女王みたいな気品のあるおばあちゃんに大きなボウルいっぱいのサラダが運ばれてきた。
その量にも驚いたが生野菜の上にはカリカリベーコンに蒸し鶏が敷きつめられ、さらに砕いたポテトチップスにシーザーズドレッシングがかけられたサラダが。 「うそっ・・」
新陳代謝を良くする生野菜が、逆効果のように見えた。 THEアメリカ人。


生野菜を摂らなければといつも強迫観念のように頭の隅にある。 温野菜の方がもっと繊維質を摂れんだぞ~とも解っている。

採りたての新鮮な野菜の美味しさを知らない私、不幸にも「美味しい~!」と思ってサラダを食したことがない。

人生の最期の晩餐はぎんなんが3個入った茶碗蒸しと決めている。 最後の晩餐に「サラダ」と答えるのは俵万智ぐらいしかいないと想う。


      ” 「また電話しろよ」「待ってろ」いつも命令形で愛を言う君 ”  俵万智・サラダ記念日より






by w-scarecrow | 2017-05-17 21:03 | | Comments(0)

一枚の写真




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一枚の写真が世界を動かすこともある。 一枚の写真が自分の未来を変えることがある。

ベトナム戦争中、裸のままパナーム弾攻撃から逃げ惑う少女の写真があった。 世界中に反戦機運を高めた一枚。

天安門事件、天安門広場の戦車の隊列の前に立ちはだかった青年と、彼を轢き殺すことを躊躇した戦車の兵士の一コマ。

シリアから脱出するボートが沈没し、息絶えた海辺の男児の一枚の写真。 化学兵器を使った空爆で父親がわが子の遺体を抱えた痛ましい一枚。
それらの写真が世界を大きく動かした。


   私は東日本大震災の直後、海外メディアで掲載されたこの一枚の写真に言葉にできない強いインパクトを受けた。


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世界を動かす写真ではなく、日常を切りとった一枚の写真に心動かされることも多かった。

明治生まれの写真家がライカで撮った東京の街で生きる市井の人々、戦前から戦後への街の変遷を写真で見ているのも楽しかった。
戦中生まれのカメラマンが撮った熱き学生運動の挫折と痛み。
戦後生まれのフォトグラファーが撮ったサイケデリックで空虚な写真、行き場ない若者たちの表情。
どの時代の写真も強く焼きついている。


山口県で作陶されている大中和典氏のざらついたカップで飲むミルクティー、ホッするひととき。ホッ178.png

陶芸作品でも絵画でも工芸でも、音楽、映像でも、自分には持ち合わせていない表現やインスピレーションを持つ作家さんすべてに嫉妬をしている。
高名な作家さんの全く隙のない作品には心がどうしても動かない。全く嫉妬しないから。
嫉妬すること、どこかさりげない作家の主張に通じるものを感じられるからかもしれない。 そして自分が凡人であることの確認。

10数年前に出会ったイギリス人写真家 Michael Kenna (マイケル・ケンナ)の風景写真。 今でもこころ癒されている。


by w-scarecrow | 2017-05-12 14:56 | そのほか | Comments(2)

習い事


ゴールデンウィークの最終日、成田空港に降り立った家族連れ、疲れきった様子でTVのインタビューに答えている。
定番の子供への質問「ハワイはどうでしたか?」「たのしかったっ」「一番楽しかったのはなんですか?」「ラーメンがおいしかった・・」

子どもたちは疲れきっている。
日々、スイミングや公文、ピアノにバレー、リトミック、サッカー、英会話、学習塾、彼らの一週間はマツコDX並みのスケジュールが組まれている。
外で近所の仲間と遊ぶなんて経験をしたことがない。
少子化対策? 一人の子で私の生活費の何倍もの教育費がかかるのだから二人、三人と子どもを持つのはとんでもないこと。



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                          センターがわたしです


★私の小学校低学年、

近所の年上のお兄ちゃんたちが下校するまでは、缶蹴りも戦争ごっこも三角ベースもできず、アリンコの巣の穴を埋めたり仕立て屋のおばちゃんちで煎餅にお茶をいただき一緒にラジオを聴いていることが多かった。
三番目の兄の命令で白金三光町の愚連隊が攻めてくるので、泥団子を作っておけ!と渋々命令に従っていた。
一日が長かった。

★小学校中学年、

近所にあった " 劇団ひまわり " に稽古に来ている年の近い女の子たち、その中にはTVに出ている子もいてその姿が眩しくて眩しくて。
「僕もひまわりに入れて・・」と恐る恐る母に進言。「なにバカなこといってるの」の一言で終わった。

こんな大勢の家族がうろうろしている家はヤダ!と「僕、6年生が終わったら高野山のお寺の坊主になるから」と断言。

★小学校高学年、

TVでウィーン少年合唱団の透きとおるような声を聴き「お願いがあるんだけど、僕をウィーンに行かせてください!」決死の想いを伝えたが「この前は高野山、今度はウィーン?男はやりたいことがあるのなら一本に決めなさい」

少年野球だけはものたりず、調布のリトルリーグで硬式の野球をやりたいなど懇願したがすべて「よそんちはよそんち」で終わってしまった。
息子の限りないポテンシャルを軽~く消されてしまった。

初めて許されたのは中学3年生のとき、受験に向けて私の数学のレベルは小学生と変わらなかったので夏期講習だけでも受講させてと頼み、やっと塾というものに行かせてもらった。
楽しかった。勉強って面白いんだとやっとのことで知った。


昭和の時代、商売をしている家は別として多くの家庭は専業主婦。お父さんの月給だけて子供が3人も4人もいる家庭を養ってきた。
外食なんて法事のときくらい、兄弟の着るものはみなお下がり、従弟の服もあった。
豆腐と納豆と山芋、コロッケ、ライスカレー、魚の干物、たまに豚肉のすき焼き、今想うとつつましかった。母が支えていたのかもしれない。

さきほどご飯が炊けたピーという音が鳴った。
つつましい夕食、¥191の豚レーバーに¥37のもやし2袋、ちょっと高い¥138のニラを買い、レバニラとおかめ納豆のメシ。¥500を切る食材で2日分の夕食です。
レバーの下味に軽く五香粉をふると、少しだけ中華街の味。



by w-scarecrow | 2017-05-08 21:45 | Comments(2)

はじまりの唄



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♪ うさぎ うさぎ なに見てはねる 十五夜お月さま 見ては~ねる ♪

まんまるなお月さま、目を凝らして見てごらん。

影絵のように餅をつくうさぎがいるんだよ。 周りの子たちもみんなうさぎが見えるという。

「ぼくにはそう見えないけど」と小さな声で囁く孤独感。



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作家の藤沢周平さんは " わんこそば " が苦手だった。

お代わりを勧める掛け声がどうしても好きになれなかったらしい。
太平洋戦争末期、軍国少年だった藤沢氏は級友たちを誘い予科練を志願した。 級友は無事帰還したが、熱気の去った戦後、「私も加害者だった」と深く悔いた。
煽ることがどれほど罪深いか。わんこそばが苦手なのは掛け声がかつての「煽ること」への記憶を呼び起こすからという。


「空」という漢字は小学一年生で習う、教室の窓から見える真っ青な空に向かって大きく書いてみる。

「母」という字は私たちの始まりの場所、広くてやさしくて海みたいなもの。


巨大な戦闘能力を備えた空母は教室から眺めた「空」でもなく、やさしい「母」でもない。

ミサイルが発射されたとのことで公共交通機関が止まった。
毎日TVでは「いつミサイルが発射されるか?」の異常なまでの過剰な報道。
小学生までも「明日、みんな死ぬかもしれない」と言いあっているらしい。

危機を煽ることで、誰が間接的に得をするんだろう? 歴史は繰り返す。 


「空」と「母」って素敵な字なのにね。

激しい雷雨の後、めっきり肌寒くなった。 スピーカーからは 大橋トリオの





♪ はじまりの唄 ♪ が流れている。


五月に入った。 




by w-scarecrow | 2017-05-01 20:17 | そのほか | Comments(2)