winter's scarecrow

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五ヶ瀬 釜炒り茶

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中国の時代がかった錫の大きな茶筒。 番茶を入れている。 以前は鰹節や海苔入れだった。


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新潟の玉川堂の銅の茶筒、武骨な風合いが好きだ。 左が100g の煎茶用、右は高さ14cm で釜炒り茶を入れてある。
紅茶の茶缶も含め缶カラが大好き。 小さい頃、近所に住んでいた米軍軍属の家でトマトやビーンズの空き缶を貰って以来の缶カラ好き。
母が泉屋のクッキーの缶や山本山の缶をずっと仕舞って置くのと一緒で、実家も私のところも缶カラだらけ。

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京都・開花堂の真鍮の茶筒、銅製のものはすぐに変色し使い古した味が出るのだが、4年間使っている真鍮のものはまだ時間がかかりそう。
早く古い百貨店の階段の手すりみたいな味合いになってほしい。

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宮崎県の北西部、高千穂と隣接する五ヶ瀬の釜炒り茶。
標高600m の山間高冷の土地で育んだお茶です。

蒸し茶が95%のシェアーを占めているので、茶葉を蒸すことなく鉄の釜で炒り、手で揉みながら乾燥をさせる手法の釜炒り茶は貴重なのかもしれません。

中国茶の緑茶も釜炒りの製法。
九州の高千穂近辺と嬉野や八女で生産されている古来の製法のお茶。

くるくると丸まった茶葉が中国茶とそっくり。
黄金色したお茶はどこか懐かしい味がする。

デパ地下を歩いていると、季節を感じる。
和菓子屋さんのショーケースには、栗の菓子が並び、洋菓子屋さんの前ではモンブランや栗のロールケーキに目を奪われてしまう。

栗のおこわもいいかもしれない。





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薩摩錫器の茶筒。 小さいのに重量感があり、これぞ薩摩!!の存在感。

イタリアレストランの勝手口に大きな大きな食材の空き缶が転がっている。 パッケージのデザインが格好いいので、植木鉢にしてバジルやルッコラを植えてみたくなる。
でも家中、缶カラだらけになってしまうので自重している、
by w-scarecrow | 2011-09-28 21:07 | tea | Comments(6)

鬼ごっこ

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実家に姪っ子と彼女の子供たちが遊びに来ると聞き、スーパー・オオゼキが開店する9:30に入店し中国産の松茸をget。
自転車をとばして20分、実家へ。

松茸ご飯と茶碗蒸し、子供たちが好きなロールキャベツをおお慌てで作った。
天下の松茸を前に母(おお婆ちゃん)も子供たちも、玉音放送が流れているかのように静か~に黙々と食べていた。

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近くの児童公園で子供たちと鬼ごっこ、滑り台、走り幅跳び、 私の体力の衰えなんて全く考えてくれていない。
「wおじさん早く!」 「ねえ、wおじさん、楽しい?!」 「おじさん、年いくつ?」 『32』 「?なんで奥さんいないの?」
「淋しい?」『少しは・・・』  「AKBの中で誰が好き?」 『後藤真希』 「・・・?」

子供たちは横断歩道を渡るとき、私の両手に小さな手を忍ばせてくる。 走り廻っていたのでツルンとして温かい。

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子供を持つ親たちはいつもプレッシャーの中にいる。 
「何さんはクラッシックバレーを習い始めたらしい・・」、「何くんはスイミングで500mも泳いでる」 「何さんには家庭教師が付いて・・・」

大人の作った常識、”普通”、”みんなが”。
姪っ子の娘と息子の走り廻る姿を見ていて、大人の作った“普通”でなくてもいいよ。”みんな”と違っていてもいいよ・・・と想う。
来年もひい婆ちゃんと一緒に松茸ご飯、食べような!
by w-scarecrow | 2011-09-24 19:41 | そのほか | Comments(4)

シフォンケーキ SOLA

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風がヒューヒューと唸り、飛んでいた物がどこかにぶつかる音が聞こえる。

台風が関東地方を通過中。

大雪や台風の日はどうしても飲み屋に寄りたくなるのだが、あまりの風雨の強さに風に背中を押されながら家に戻ってきてしまった。

私の住んでいる6階建てのビルが暴風で揺れている。

小学生のときは台風の真っ只中、外へ出て強風に向かってバットの素振りをしていたが今はそんな情熱はない。

風雨が収まるまで部屋で待機。





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伊勢丹新宿と銀座三越で販売している L.A. 発、 SOLA (ソオラ)のカリフォルニア・シフォンケーキ。
7~8cm 角の立方体で見た目にも美しい。
手前がラズベリーとアールグレイのシフォンケーキ、奥がバニラのシフォンケーキ。

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抹茶、チョコレートを含めて4種類のシフォンケーキ。
バニラがシンプルで美味しかった。 バニラ・シフォンの生地の中にホイップクリームとバニラビーンズ入りのカスタードクリームがこれでもか!とたっぷりと入り、見た目以上のボリューム感。

食感は柔らか過ぎず、ちょうど良い弾力。 北海道産の小麦粉とバター、下北半島から仕入れる玉子など素材にもこだわっていて、人気があるのが頷ける。
また、新宿や銀座に行ったときは買ってきたい。 ウマイ。

まだまだ外は大荒れ、信州や東北地方のリンゴが心配になる。
こんな日は部屋で静かに Leon Redbone を聴くのもいいかもしれない。
by w-scarecrow | 2011-09-21 18:37 | | Comments(0)

♪ 妹よ 

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味噌汁、と聞いてすぐ浮かぶのが千昌夫の ♪ 味噌汁の詩 ♪  千昌夫や吉幾三がポタジュースープを飲んでいても画にならない。
三食、味噌汁でいてほしい。

千昌夫が浮かぶと、次には『とび出せ青春!』の村野武範が浮かぶ、そしてホクロ繋がりで菅直人が浮かんでしまう。

南こうせつの ♪ 妹よ ♪ という曲で妹と二人暮らしの兄が『明朝 お前が出てゆく前に あの味噌汁の作り方を書いてゆけ~』という少し時代がかった歌詞がある。
花嫁になる妹を詠った歌詞、「俺にもそんな妹がいたらな~」と聴きながら想った。


味噌汁がなければ生きてゆけないほどの THEにっぽん人ではない。
海外へ行ったときでも化学調味料の味しかしないインスタント味噌汁を飲むより、その国のスープを飲んでいたい。
どこの国でもスープだけは美味しい。

日本人が汁状になった味噌を飲み始めたのは鎌倉時代あたりかららしい、室町時代にはご飯に味噌汁をかけて食べる(ニャンコ飯)が主流だったという。 具はなんだったんだろう?



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戦国時代になり武田信玄は味噌造りを奨励し、伊達政宗は城下に味噌工場を作ったらしい。
戦にゆく兵士は味噌玉を常備、インスタント味噌汁はこのころが起源。

旅に出るとその土地の味噌を買って帰るのが愉しみだ。
この何年かは長野県佐久市の和泉屋商店の『安養寺みそ』と白味噌をを取り寄せている。
すごくバランスのとれた佐久の米味噌です。

秋田の味噌は中辛口系だが、どことなく大豆の甘みが感じられてホッとする。
写真左は江戸中期創業の角館の安藤醸造の米味噌。

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                               有松 進(瀬戸)5寸織部鉢

一汁一菜とはいかず牛スジの煮込みとゴボウの炊きこみご飯で食す。

具が貝類のときは赤味噌だけで、野菜類のときは白味噌と合わせにする。
ナスやお麩、ニラ玉の具が結構好きなんです。
by w-scarecrow | 2011-09-17 22:26 | 食 + うつわ | Comments(9)

永遠に・・・

このBlogをいつも読んでくれていた80代半ばの女性が今朝、永遠の人となられた。
早朝、娘さんから「ありがとうございました」と連絡があった。
おばあさんが電話をかけてこられるときは、若い娘のような可愛らしい声でいつも笑っていた。
娘時代の色褪せた画が、話しているうちに少しづつくっきりと色付いてきましたよね。
こちらこそ、いっぱいありがとうございました。 どうぞ想い出多き霧島の山々の天空から見守っていてくださいね。


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わたしが一番きれいだったとき
                      茨木のり子

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように 

by w-scarecrow | 2011-09-14 23:32 | そのほか | Comments(2)

本の香り

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                                   奈良原一高・日比谷 1954

紙の匂いが好きだ。
中学へ入学した時に買ってもらった研究社の英和辞典。 薄~い紙が千数百ページもある。
日本で製本したのに、どこか外国の街の本屋さんの甘い匂いがした。 大人のおねえさんの匂いだったかも。

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街に THE BAND の音楽が流れ始めた時代、高校の授業が終わりアルバイト先の魚屋さんへ行く前に、渋谷西武百貨店にあった " ぱろうる " という、すごく小さな書店へ寄るのが愉しみだった。
詩歌の書籍の専門店。

未知の香り、ピンと張った空気感、本を開くと粗いクラフト紙に空間を少しだけ埋めるように活字がのっかっている。
物語が印字されているのではなく、作者の息遣いが載せられていた。

均一でない形や紙質、装丁、そんな本を開く愉しみ。 今でも書棚の和を壊すような本が好きだ。

最近、気になるのがアナウンサーやレポーターのよく使う「お疲れさまでした!」という言葉。 試合を終えたばかりの選手や被災地の町長さんにも誰にでも「お疲れさまでした!」という言葉を使う。

不確かだが「お疲れさま」というのは、目上の人が部下たちに使う言葉だった想う。
映画界でも監督が助監督に「お疲れさん」と声をかけることはあるが、助監督が監督に「お疲れさまでした」と言ったことはない。

今年もあと4ヵ月弱、今年こそは松茸ご飯と土瓶蒸しを食べるぞ! 
by w-scarecrow | 2011-09-09 21:44 | my back pages | Comments(10)

風に乗って

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不安定な空の下、下北沢の街を北澤八幡神社を目指して神輿が練り歩く。

" 秋祭り 神輿追いかけ一升瓶 "  冬野案山子

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着なれた服を脱ぎ、年に一度の半纏を着る喜びに溢れている。 皆、笑顔がまん丸い。

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室町時代中期、世田谷城主だった吉良家によって勧請されたと伝わる北澤八幡神社。
北沢地区8つの睦会が町内を担ぎ、午後1時過ぎに宮入りをする。

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子供の頃、太鼓の音が聞こえるとそれを合図のように神酒所まで突っ走る。
ドンドン、チャチャチャ・・・太鼓を打たせてもらえる順番を待つ。

今朝も近所の神酒所から太鼓の音の響きが聞こえてきた。 ビーサンをつっかけ外に出た。
秋祭りの頃、トランポリンの上をヒョイヒョイと跳ねていたような夏の日々から、急に地面に着地をしたような不安定な気分。
祭りが終わると風の色が変わる、いつものように「2011年・夏」と記号にして躰のどこかにしまってしまう。
by w-scarecrow | 2011-09-04 23:06 | 散歩 | Comments(2)