winter's scarecrow

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♪雨に唄えば♪

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"わが春をあこがれのみが駈け去れり麦藁帽子被りて眠る"

大学生になって初めて登校した日、隣に座った東北訛りの抜けない女の子がジッと見ながら言った。
「Wさんて、出身は北海道ですか?東北ですか?」
「?ここが地元だよ」
「うそ~っ!」
北海道の牧場で酪農をしている雰囲気があると言われた。
磐梯山にある知り合いのペンションで手伝っていたときは5歳も上のオーナーを通り越して
「ちょっとご主人いいですか・・」と私のところへきた。 どう見てもオーナーの方が年上に見える。

街を歩いてて感じるのだが、歌舞伎町辺りの風俗の呼び込みも私には全く声をかけず、後ろを歩いていた温水洋一風の男にまとわりついている。何故?
駅前のティシュ配りも私にはくれない。 チラシ配りもあまり差し出すことはない。
何故なんだろうと数十年考えているのだが答えが見つからない。
電車で前の席に座ったサラリーマンを見て、どこで生まれて、どういう家族構成で育ち、今はどんな奥さんと暮らしているのか? 
そんな他人の分析ばかりしている。

病院の待合室でなにもすることがないので、栄倉菜々に似ている薬剤師さんを眺めながらいろいろなシュミレーションをしている。(毎回)
偶然、街で彼女と出くわしたときのことを考える。 自分だったら「あっ、こんちわ」の一瞬で終わってしまう。
キムタクだったらどうするか、高倉健だったらどうするかを考えるが、キムタクとはかなりの隔たりがあり、
健さんの場合はどうしても舞台が網走の街になってしまう。

"必殺仕事人"の中村主水で考えたらすんなりといった。
町娘の彼女が茶屋の前をスタスタと歩いてくる。 擦れ違いざまに、
「お侍さま、手の傷が・・・血が・・・」
「いや、案じるほどのことではない」
「わたしは近くの小石川療養所の薬園で奉公しています。少しは医術の心得があります」
彼女は自分の着物の裾をサッと捲り、長襦袢を剥ぎ、素早く傷口を塞ぐ。
「そなたは療養所におると言われたな。名は何と申す・・」
「お侍さま、名乗るほどの者では・・・」
「では、そなたの携帯の番号でも・・」
「携帯は持っておりませぬ・・」
「ではFAX番号だけでも・・」
「はい・・」
出来た!シュミレーションが出来た。 FAX番号を訊こう! これだったらつい言ってしまう。

つまらない妄想にお付き合いいただきありがとうございました。040.gifかたじけない。
by w-scarecrow | 2009-05-29 09:22 | my back pages | Comments(10)

我想去成都

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世界のどこの国へ行っても中国人とインド人のコミュニティーがある。
食べ物で困ったときはchina townかindian streetへ行けば中華料理かカレーは食べられる。
以前、ドイツのフライブルグという小さな街の小さなビアホールでソーセージをつまみにシミジミっと呑んでいたら、
「節子さん、なにしてんねん!そこの席とっといてや~」との声、世界のどこへ行っても大阪のおばちゃんはいた。
チョウチョ好きな友人がアフリカのマリ共和国というところへチョウチョ観察の旅に行ったら、やはりマリにも元気な大阪のおばちゃんがいたらしい。 蝶柄の刺繍のTシャツを着ていたかはわからない。 飴は持っていたに違いない。e0158857_20365376.jpg

香港映画のスタッフとして香港に滞在していたときは同僚とともに地元の美味しくて安くて汚い、街の食堂でいつも食べていた。
「麻婆豆腐を注文したいんだけど・・」 何?という顔をされた。 街の食堂は広東料理がベース。
麻婆豆腐は四川料理。 沖縄料理店で秋田のきりたんぽが食べたいと言っているのと同じである。
恐らく香港の人たちの殆どは麻婆豆腐を食べたことがないような気がする。

広東料理に飽きると浙江省の料理を出すお店に連れていってもらった。
旨かった。
日本人には上海周辺の料理が一番合っている。

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成都陳麻婆川菜調味品有限公司出品
四川の現地そのままの辛さ、味を食すことができる麻婆豆腐の素。
最近は三越や高島屋でも見ることがある。
もちろん花椒もついているので風味のある激辛を味わえる。

陳健一が市販の豆板醤をプロ仕様にするには瓶の中にみりんを少し足すとよいと言っていた。

今、TVで我、横浜Baystarsの四番・村田が逆転ホームランを打った!
「横濱湾星棒球団、加油!」

再見,用梦冘吧(夢で逢いましょう!)
by w-scarecrow | 2009-05-27 21:18 | 食 + うつわ | Comments(10)

新緑、映える

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金重巌・備前 『於里部麦酒壷』 (写真・右)
金重巌は備前の陶芸家たちはあまり作ることのない呉須の麦酒壷や於里部(織部)にも挑んでいる。
少しの遊び心があるから、使う側にもその楽しさ、新しさが伝わってくる。
備前焼の復興に尽力を注ぎ、備前焼の最初の人間国宝となった金重陶陽を祖父とし、その長男、故・道明を父として生まれた。
父、道明が病床で「元気になったら、父(陶陽)を意識しない作品を作りたい」と言っていたという。
陶陽直系の巌にもそんなプレーシャーが重くかかっているのだろうか。
巌さんの作品からは継承していくものと新しく生み出していくものとのバランス感覚の妙技を感じます。
土づくりには時間を惜しまず、窯出しした後も一点一点、時間をかけ手入れをする。
そんな素晴らしき伝統を踏襲した陶芸家の作品でお茶を飲むひとときの幸福感。


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鈴木徹 『緑釉湯呑』


人間国宝・鈴木蔵を父として岐阜県多治見市に生まれる。
緑釉を薄くかけ、流れやすい釉薬の流れと溜まる箇所の変化を味わうことのできる湯呑。
薄い釉薬の下から白い胎土が透けて見える。
口元や見込にも丁寧な気遣いが感じられる、凛々しく上品な湯呑である。
鈴木徹さんは織部を主として作品を作っている。
その緻密で優美な作品群は自身のHP"陶藝 鈴木徹"で見ることができる。
(福島県で同姓同名の陶芸家の方がいるので検索すると混同してしまいます)

意識的にではなく結果、人間国宝の陶芸家をを祖父や父にもつ作家さんの織部を取り上げました。
織部を写真に撮ると現物より明るく(浅く)写ってしまいます。 実際はもっと深い緑色です。

今日の東京は冷たい雨が降ったり、少しだけ陽がさしたりと不安定な一日。
今年の梅雨は短いとお天気おねえさんが言っていた。
うちには真っ赤な傘が一本あるだけ。 
「昨夜はどこかにお泊りだったの?」と人からニヤニヤしながら訊かれる。
そんなときには「ちょっとねっ」と答えるのだが、黒やグレーのオヤジ色の傘なんて買う気がしない。

金重巌-1965年、岡山県備前市に生まれる
      1995年、独立                               
     『於里部麦酒壷』 口径: 7cm 高さ: 9.7cm            
鈴木徹-1964年、岐阜県多治見市生まれ
      1987年、龍谷大学文学部史学科卒
     『緑釉湯呑』 口径: 6.6cm 高さ: 9.2cm
by w-scarecrow | 2009-05-24 17:40 | うつわ | Comments(4)

morning tea

お酒を呑むときはほとんどつまみを口にしない。
亡父もそうだった。 少し酔いがまわってくると楽しそうに母をからかっていた。 母のことが大好きだった。
でも、私はサンドイッチとpizzaだけは口にする。 afternoon teaで出てくるような薄くて小さなサンドイッチ、レタスや余計なものが入っていないキュウリやハム、たまごだけのサンド。
立食パーティーのときはグラス片手にサンドイッチを独り占めしている。 今朝は昨夜に買ってきた紅茶のスコーン。


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いただいた手作りのブルーベリージャムのほど良い酸味が起きたての脳のスイッチをオンにしてくれる。
ひとり暮らしの友人たちの冷蔵庫には必ずといってよいほど野菜ジュースやトマトジュースが入っている。
普段の食生活のなかで生野菜という選択肢がゼロである。 ジャムはもちろん入っていない。


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sweden,Rorstrandのcup&saucer、グレーとイエローのチューリップの楽しい絵柄が紅茶をより一層引きたててくれる。
『TEA Shop八月の鯨』のベルガモットの風味が爽やかな"星空"を飲む。
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山梨県道志村で工房を構える宮田光善さんの藁灰釉のtea pot。
飾り気のない、どちらかと言えば無愛想なpot。
このさりげなさが堪らない。

TVを観ていると景気の悪さを痛感する。 連続ドラマは『北の国から』以降観ていないので詳しくは判らない。
バラエティーに出ている面々がこの数カ月で変わってきている。
出演料の高くない、かつてのアイドルたちがどの番組でも多く出ている。 お決まりの一番組一おかまちゃんの方程式は変わっていない。
普段はBSの番組ばかり観ている。 特にNHKにはお世話になっている。
昔、NHKの集金人がくると両親は年貢を納めるかのように、頭を下げながら受信料を払っていた。
両親はニュースも歌番組も演芸番組もNHKだった。 公務員(NHKは違うが)を何故か崇めている。
姉が公務員になったときは赤飯を炊いてご近所に配っていた。

ただNHKのフォークソングの番組には判で押したように南こうせつ、さだまさし。バラエティーには林家三平一家。これには辟易する。
鶴瓶の『家族に乾杯』がいつか実家の母を訪ねてくれるといいのだが。
by w-scarecrow | 2009-05-22 09:36 | うつわ | Comments(10)

ひなた

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真昼の星



ひかえめな 素朴な星は
真昼の空の 遥かな奥に
きらめいている
目立たぬように・・・。

はにかみがちな 綺麗な心が
ほのかな光を見せまいとして
明るい日向を
歩むように・・・。

かがやきを包もうとする星たちは
真昼の空の 遥かな奥に
きらめいている
ひそやかに 静かに・・・。



吉野弘詩全集『真昼の星』より







街道、食=文化を繋ぐ、"路"にひたすら想いがゆく。
京都の食文化、福井県小浜からの鯖街道。
海辺の町からの塩の道。
なぜか昔からの伝統が根付いている町といわれるところは盆地が多い。
地形からの要因もある。それ故自分を地域を受け継がれた文化を守る、余所者を受け入れない習性があるのかもしれない。
京都、奈良、会津。 天領だった町々。
かつてNHKで司馬遼太郎の「街道をゆく」が放映させていた。
今、また観てみたい。 

日曜日に巣鴨にある亡父の墓参り。 
自分が詰まったときには缶ビールを持って墓前でひとときの時間を過ごす。
帰りに"とげぬき地蔵通り"に行く。
豆大福、豆餅のお店も人だかり。 「2個ください」と言うには長すぎた列。
by w-scarecrow | 2009-05-20 00:54 | | Comments(2)

彩り

世田谷区立芦花小学校の3年生たちが育てた花、
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久しぶりに京王線の千歳烏山駅の南(東)側を歩いた。
今は統廃合されてしまった嘗ての都立C高校へよく通った。 私の高校も私服、都立高も殆ど私服だったので朝からC高の授業も受けていたことがある。 中学時代の仲間も何人かいたのでそのクラスへ。
ほかの生徒も他校からの飛び入りを面白がっていた。
付き合っていた彼女は別のクラスにいた。
駅から現・芦花高校へと向かう道、当時とはかなり違う風景になっていた。 
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その道沿いある小さな焼菓子屋さん、"Patisserie Le Petit Poisson" フランス語で小さな魚やさんという意味らしい。

写真の上から、週末限定のリキュールの入ったシュークリーム。 しっかりとしたシュー生地でたっぷりとバニラビーンズが入っている。 クリームも濃厚なわりにさっぱりとした甘みでリキュールの香りがほんわりとただよう。 買いにきてよかった!

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真ん中は洋ナシのタルト、これは明日食べる。

下はブルターニュの伝統的焼き菓子ガレットブルトンヌ、フランスの発酵バターを使い、砂糖を焦がした風味とバーターと岩塩の三つ巴で酒(ワイン)といっしょに食べてもおかしくない。

テーブルに5種類の焼菓子が並んでいた、小さなお店で3,4人入ればいっぱいになってしまいそうだ。
3個買ったシュークリームの1つを食べに芦花公園へ。


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北多摩郡千歳村字粕谷、明治の作家・徳冨蘆花が1907年から亡くなるまでの20年間を過ごした場所。
鬱蒼とした林に住居前にある見事な竹林。
そのころはイノシシや鹿もいっぱいいたのかもしれない。
林を抜けると芦花小の子供たちの花壇が広がっていた。
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芦花小の3年生のみんな、素敵な花をありがとう!

Blogで見て気になっていた駅のそばにある『napas bread』へ寄る。 今月で閉店すると聞いていた。
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ソテーされた玉ねぎときのこが美味しい"サルマ"、ほうれん草とベーコンの定番のキッシュ。
これが堪らなく旨かった。
もっと前にきていたら、きっと通ったと想う。

美味しいパンと焼菓子、懐かしの街、子供たちが育てた花。
曇りの天気とは裏腹に健やかな時間を過ごすことができた。

福山雅治が歌う、
♪東京にもあったんだ~
こんな きれいな夕陽が うれし~いな 
君に見せたいな 君は元気かな♪を歌いながら福山になりきっていた一日。
by w-scarecrow | 2009-05-16 19:51 | 食 + うつわ | Comments(8)

淡雪のように

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加藤土代久 『志野湯呑』

口径: 7.4cm 高さ: 9.8cm

加藤土代久(豊久)1962年、岐阜県土岐市生まれ。

1983年、21歳の若さで朝日陶芸新人賞を受賞。
それ以後も数々の陶芸展で賞を受賞している。

志野焼は桃山時代に侘び茶の盛隆でその造形に魅せられた茶人たちに珍重された。
瀬戸焼は茶入れや茶壷に主力を傾け、志野焼は茶碗や茶道具に重きを置いた。
江戸時代になると磁器の普及とともに志野焼は衰退する。
昭和5年に陶芸家・荒川豊蔵が美濃の山中で志野焼の古窯跡を発見し、その陶片をもとにかつての志野焼を再現した。

加藤土代久さんの志野は戦乱の時代が終わり、桃山時代の茶陶として生まれた志野焼に夢を託し、土代久さんの稀有なセンスと確かな陶技によって生みだされてゆく。
淡雪を想わせる長石釉、ガス窯で炎を調節しところどころに現れた火色、貫入の景色を眺めながらの一服。
数々の優美な文化を生みだした桃山時代へと想いを馳せる。

土代久さんと美濃で同世代の加藤康景、塚本治彦がいる、それぞれ全く違うタッチで志野に挑んでいる。
師である林正太郎、彼らとは中間の世代の堀一郎、若手の樋口雅之。 大好きな美濃の陶芸家たち。
志野のやわらかな景色と土肌を感じる楽しさがある。

Art,Artistという言葉に違和感を感じるときがある。
この2つの言葉は自分から発するものではなく、人がArtと認めたものがArtでありArtistである。
差し出された名刺に○○○アーティストと印刷されている。 
美容や建築界、その他どの分野でもアーティストが溢れている。 
自分から芸術家と名乗る薄っぺらな言葉になってきた。

これから病院へ胃薬を取りに行く。 金正日に似ているおばさんではなく、栄倉奈々似の薬剤師さんだったらいいんだけど。
by w-scarecrow | 2009-05-13 09:09 | うつわ | Comments(4)

春にして想う

明日は母の日、一年間の母親の苦労をねぎらい健康で過ごせるようにと願う。

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小津安二郎監督『東京物語』(1953年)、父とは、母とは、家族とはを考えさせてくれる秀作である。
今観ても家族の形態、価値観は変わってきているが流れているものは変わっていない。

周吉(笠智衆)とトミ(東山千栄子)は尾道から、東京や大阪に住んでいる子供たちに会うため旅にでる。
内科の診療所をやっている長男の家に泊まるが家は手狭でそれほど裕福そうでもない。
祖父母のために自分の部屋を空け渡したことに孫は腹を立てている。



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戦死した二男の嫁だった紀子(原節子)が加わり、久しぶりの家族団欒である。
翌日、急患が入り東京見物が中止になった周吉とトミは暇をもてあそぶ。

長男の家をでて長女の家を訪ねるが、夫婦共々忙しくて両親をもてなすゆとりがない。
紀子が会社を休み、二人を観光バスに乗せて東京案内をしてくれる。
そして、ひとり暮らしのアパートへ二人を招く。
そこには戦死した二男の写真が飾ってあった。





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周吉とトミは2泊の予定で熱海に静養に行くが、旅館に団体客が入っており、そのドンチャン騒ぎで眠れぬ夜を過ごす。
海を見渡す防波堤を歩いていたときにトミは目眩を起こし、1泊しただけで東京へ戻る。
早々に帰ってきた両親をいぶかしく見る長男と長女。

居る場所がなくなった二人は上野公園のベンチで思案する。
トミは紀子のアパートへ周吉は旧友の家を訪ねる。

尾道へ戻ったトミは脳溢血の発作に襲われ危篤に陥る。 東京や大阪から子供たちが駆けつけトミの最後を看取る。



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葬儀が終わり、子供たちは慌ただしく帰って行く、最後まで残っていたのは紀子だった。
「妙なものだ。自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方が、よっぽど私たちによくしてくれた。 いやぁ、ありがとう」

子供たちの家にはそれぞれの事情がある。
周吉とトミはもしかしたらこれが子供たちに会える最後の旅であると感じていたと想う。

20歳のときにSan Franciscoの映画館で『東京物語』を初めて観た。
父が笠智衆と似ていたこともあって、涙が溢れんばかりに流れてきた。
行き場所をなくした二人が公園のベンチで宙を眺めている。 その心情を考えたら止まらなかった。

親爺はどうしているのかな?と想い余って近くの公衆電話からコレクトコールをかけた。


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運悪く母がでた。
当時はオペレーターと母と3人で会話ができた。
オペレーターの英語に圧倒され無言でいる。
「受信人払いの電話で、繋いでいいのか?って訊いているから、イエスと言ってくれればいいんだよ・・」
「・・・・・」
金縛りにでもあっているのかもしれない。
今観た映画の感動を伝えたかった。
突然「NO!!」という声が聞こえ電話は切れた。

先日、ムースと美味しい味噌を届けに実家へ。家の近くにきたらスタスタとした足取りで母が前を歩いてた。カメラを取り出し後ろ姿を撮った。

着物を着る機会が多いので大正生まれにしては背筋がピンとしている。
「ムースを買ってきたから食べようっ」 怪訝な顔をしている。 
そのあとは想像通りの言葉が返ってきた。「ムースって・・」

いつまでも元気でいてほしい。 ありがとう。
by w-scarecrow | 2009-05-09 18:06 | 映画 | Comments(6)

表参道 春

GW中の表参道散歩。
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弓道をやっている人には目眩がしそうな店。ちゃんと射とめてくだいね。
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連休中、家族連れも多く、人、人。 香港、台湾、韓国からの観光客が多かった。
中国本土からの観光客は秋葉原、銀座、新宿ルート。表参道にはあまりいない。 
有名建築家のモールを出るとニュートラルでなくコンセプトを持った面白い建造物が立ち並ぶ景色。

表参道、団塊の世代には原宿は長閑な町。 東京オリンピック前までは"キディーランド"しかなかった参道。
私たちの世代は竹下通りに小さな店ができ始めていた。 竹の子族も集まっていた。
少し歩くと青山墓地、根津美術館を下ると西麻布。今は芸能人御用達の店が立ち並ぶ乾いた街へとつづく。
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その日、skateboard shopで赤の雫のTシャツを買ってきた。 "Color Communications"
ちょっと覗いた"白山陶器"直営店でtea cupを想わず買ってしまった。
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いつも行く下北沢の飲み屋さんの板さんが奄美の"喜界島"という小さな島の出身。
黒糖作りで有名な島。
島では味噌は"蘇鉄の実"で作っていたらしい。 すごい発見。
by w-scarecrow | 2009-05-08 01:10 | 散歩 | Comments(4)

竹、竹、竹

e0158857_16424720.jpg「大人なったら、毎日グレープかオレンジのカルピスを好きなだけ飲み、蜂蜜湯と一緒にカステラを毎日食べ、隠れて舐めてたトラピスト修道院のバターを堂々と舐め、赤福をひとり占めにし、子供は食べたらダメと言われていたサバランを一日2個食べ、桃をイヤになるまで食べたい・・・」と切望していました。

今でも、蛇口からカルピスやヤクルト・ジョアがでてきたらいいなと想う。

それよりも、今は竹林に囲まれた家に住みたい。
鹿威し(シシおどしは)は自分が一番びっくりすると想うので、水琴窟があればいい。
あとはPizzaを焼く窯があればいい。(念の為、ご近所にdominoがあればいい)

タケノコご飯が大好きだ。
いただいたタケノコと油揚げだけ入れたご飯、五目にしたら採りたての筍に申し訳ない。
生揚げ(厚揚げ)とがんも、蒟蒻と椎茸の煮物。 盛り付けの才能のなさに、ガクッ。
朝はだいたいお酒で胃が疲れているのでタケノコ入りのスープに中華粥が食べたい、昼は好きな五目やきそばにタケノコやきのこが入っていれば満足である。 

筍のアク抜きに米糠と鷹の爪ではなく、椿の葉が面倒がなくてよいと聞いたことがある。
でも植物の知識の全くない私だったら椿ではなく牡丹の葉っぱを入れてしまうに違いない。

萩原朔太郎の『竹』という詩の文末、
「まっしぐらに 竹が生え 凍れる節々りんりんと 青空のもとに竹が生え 竹、竹、竹が生え」
朔太郎の詩と同じく歯切れのよい、筍の触感。
by w-scarecrow | 2009-05-05 18:14 | 食 + うつわ | Comments(12)