winter's scarecrow

♪ Day Dream Bileiver



敬老の日。
私の老母は腰は弱くなり、歩くのは少しだけ難儀みたい。

「人様に迷惑をかけちゃいけないよ」と「ちゃんと自分の躰のことを考えなさい」、いくつになっても毎回、電話口での最後の言葉はこの二言。 


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2015 原宿表参道


1960年代後半、アメリカのアイドルグループ、モンキーズが ♪ Day Dream Biliever ♪ で全米チャート一位となった。
ジャニーズ事務所がこれをならって続々とアイドルグループを放出した元祖。

このモンキーズのヒット曲が1989年、日本で甦った。 なんも面白くない原曲を忌野清志郎が自分の詞でカバーした。


          Day Dreams Bliever
          もう 今は彼女はどこにもいない
          朝はやく 目覚ましがなっても
          そういつも 彼女と暮らしてきよ
          ケンカしたり 仲直りしたり
          ずっと 夢を見て 安心していた
          僕は Day Dream Biliever
          彼女はクイーン

          でもそれは 遠い遠い思い出
          日が暮れて テーブルに座っても
          ah 今は 写真の中で微笑む
          ずっと 夢を見て幸せだっただろ
          僕は Day Dream Biliever  そんで
          彼女はクイーン


このカバーが発表される2年前、清志郎は父と母とも実の両親ではなかったと、育ての母が他界したときに知らされた。その後のすぐに育ての父の突然死。
そして育ての母の実の妹(清志郎が3歳のときに亡くなった実母)の遺品が届けられた。 写真や日記や俳句を記したノート。
          
         
          37年近く生きてきて とにかく初めての気持ちなんだ
          とっても幸せな気持ち だけど どんどん涙が出てきてしまう

          わーい ぼくのお母さんてこんな可愛い顔をしていたんだ 
          気がつくと ぼくの目に涙があふれている 



デイドリームとは空想のなかの楽しい夢のこと、ビリーバーは信じる者。

忌野清志郎が逝ってから8年が経つ、同じチャリ好き、私もただただその辺、風を切って走ってます。



私の兄弟は5人、母は子どもたちにの誰かを褒めたり特別扱いはしなかった。 少年野球で準優勝したときも褒めの言葉はなかった。
ただ例外がある、私が小学校6年生のときに NHK の「みんなでホームラン」というクイズ番組に学校の代表として出たとき。

一週間後の放映日。 正解をピンポンと出した四男坊に言葉も発しなかった。「あらっ」だけ。

その日の放映後、親父が角打で呑んでいるご近所の末広屋酒店から「これ、W坊に」とバヤリースが届き、変わり者の仕立て屋のおじさんからはカルピスが届き、お隣のKさんからは泉屋の缶に入ったクッキーが届いた。

なんだ、ご近所に放映日を知らせていたんじゃん。

東京大空襲の中を生き延びてきた老母、弱音を息子たちにはこれっぽっちも見せない。 元気です。

My Day Dream Believer  粋です。
          


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by w-scarecrow | 2017-09-15 01:39 | Comments(2)
Commented by nobrin-k at 2017-09-22 17:15
お母様お元気そうで何よりです。 うちの父は今年90歳になりましたが、何だか急に弱った気が・・・(汗)
精神的には元気ですが、やはり体力面ですね。
一応、足腰は毎朝町内散歩をしているのでまだ大丈夫ですが、15分くらいが限度かな。それも超スローペースなので、少なくとも付き添いの私の散歩にはなっておりませぬ(笑)
私は一人っ子なので兄弟姉妹の感覚がまるでわからないのですが、大勢いるのも何だか楽しそうで良いですね~
Commented by w-scarecrow at 2017-09-24 00:17 x
nobrin さん、こんばんは。
お父さん90歳になられたんですか・・15分とはいえちゃんと散歩欠かさずにされているのはスゴイです。
われらの町は急な坂道ばかり、かなり疲れることと思います。
なにかの寄り合い(サークル)に入れば同年代の人達とお喋りで発散できるのですが・・。
男の人の場合は変に頑なだから中々そうも行きませんね。
ドトールにしろ早朝のカフェはご老人が多数を占めています。
開店前に並んでいたり。なにか目的の場所ができるといいですよね。
兄弟が多いのは今から思えば楽しい思い出ばかりでした。