winter's scarecrow

野菜を摂らなきゃいけない

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伊豆半島を巡る旅番組で、旅人がふらっと寄った地産のものが食べられる食堂。

旬の魚の刺身や煮付け、海鮮丼があるのに、一番食指が湧かない水菜に鯵の干物をのせた丼を美味そうに食べていた。

それで私も作ってみることに。

水菜、焼いた干物の鯵、調味料はネギ油と薄口醤油だけ。


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ひとり者の男たちの生野菜は " 野菜生活 100 " の緑、黄、赤、紫の21種類の野菜・果実が入ったジュースやトマトジュース、青汁が冷蔵庫に並ぶだけ。

DEAN & DELUCA のエプロンをした木村文乃みたいな奥さんが、ウッディーなボウルで自家製のドレッシングで和え、盛り付けてくれるようなこころ温まるサラダは一度も食べたことがない。

水菜と鯵の丼、「わっ、こんな健康的な丼もあるんだ」ちゃんと生野菜もたべないといけないと反省しながらパクリと食べてしまった。


ニュースで沖縄の県民大会の様子が映し出されていた。
翁長知事「うちなんちゅー、うしぇーてぇーないぴらんどー」(沖縄人をないがしろにしてはなりませんよ)

私はいつも沖縄は日本から独立した方がいいと思っている。それは日本から出ていけでは決してなく、彼らのアイデンティティが失われることにもう限界がきていると思う。

13世紀から明治の初めまで東シナ海の地の利を生かして中間貿易で栄えた琉球王国、江戸時代になって間もなく薩摩藩が侵略してきたときも1000人も多い兵を持ちながら、あっという間に降伏をしてしまった最小限の武器しか保有していなかった平和な国家。

70年前の沖縄の地上戦では(米軍の死者を除いて)戦死者は19万人弱、沖縄人の戦死者が12万人、そのうち民間人が9.5万人。

東京大空襲を経験した老人が言っていた。「戦後70年と騒いでいるけど、戦後80年の時はもしかしたら戦前になっているか戦中になっているかもしれない」

こんなキナ臭い国にいるより、人々が尊厳を持てるようなかつての平和な国を・・・と思う。


以前にも書いたことがあるが、U ちゃんという沖縄民謡の家元で育った女の子がいた。
彼女がわが町に引っ越してきてから、よく呑み、よく喋り、よく笑った。 

一年が過ぎたころ彼女は故郷沖縄に帰り、Jazz vocalist をつづけてゆくと半泣きで語っていた。

「みんなと出会えてほんとに嬉しかった・・・忘れてほしくないのでこれ受け取って・・・」とバーの店員が目を逸らしたときに、さっと 着ていた T シャツの中に手を入れ、着けているブラジャーを外し私に手渡した。
大き目の淡い水色のブラジャーだった。

Uちゃんは1972年5月15日、沖縄が日本に返還された日から数年後。
歩道橋の上から、自動車の走行が右側通行から本土と同じ左側通行になる瞬間を眺めていたらしい。
まだ小さいながら、なにかが大きく変わってゆく沖縄の空気を感じたという。
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by w-scarecrow | 2015-05-19 20:52 | | Comments(0)