サイレンを合図に
グレーの色を灰色と言ったことがない。
両親も近所のお爺さん、お婆さんも灰色のことを「ねずみ色」と呼んでいた。
これが今の十代の子たちに言っても通じない。
江戸は大火に見舞われたことが多かった。焼け跡の灰を想わせる言葉を使わなかったみたいだ。
「済みません」は「済」という漢字を使うことが一般的になっているが、以前は「澄」という字を使っていたという。
仏様を前にしたときの澄んだ気持ちで接することができず申し訳ない、「澄みませんでした」という思いを当てていたらしい。
どう見ても「澄」の字感の方が気持ちを表している。
西洋の人は音で言葉をイメージする、漢字を使う私たちは画(文字)を想い浮かべて会話する。
難しくもあり楽しくもあり、深い。
TVドラマにチャンネルを合わせることが殆どない昨今、でも時折、ドキッとするような役者に出くわす。
何年か前にスゴイ!と思ったのが満島ひかり、熟成され感性が研ぎ澄まされ、観る者を引きつける役者さんになってきた。
10年に一人出てくる魅せられる役者、蒼井優を観たときにそう感じたが、満島ひかりも同じ感受性を持っている。
与えられた役を演ずるのではなく、女優である自分の様々な引き出しから引っ張り出した「自然体の自分」を演ずる大竹しのぶの芝居とは全く異なり、彼女たちの感性は流れつづけている。
女性はどんな人でも芝居心が備わっているが、男優たちは判で押したような演技しかできない。
佐藤浩市が20代のときも、今とは違って肩に力が入っただけの演技をしていた。 男優は年の積み重ねしかないのかもしれない。
高校野球の地方予選が大詰めになり、決勝戦がTVでも放映されている。
激戦を勝ち抜いてきた投手が最後の力を振り絞り投げている姿が痛々しくもあり、清々しいしくも映る。
夕空に響く試合終了のサイレンが「さて、ビールの栓でも開けるか・・」の合図に聞える。
by w-scarecrow
| 2013-07-28 09:25
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