winter's scarecrow

太平洋のかかし

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'80年代のアメリカ、ウィスコンシン州ミルウォーキー。
住宅街にあるアパートからバスに乗って30分の距離にoriental food shopがあった。
ダウンタウンからも外れた閑散とした場所だった。
主に日本食が揃えてあった。 韓国人は北部の町にはまだ少なく、店には韓国産の唐辛子や缶詰めなど僅かな物が片隅に置いてあった。
1ヶ月に1度この店を訪れ、カレーのルー、味噌、納豆などを買っていった。
60代のおじさんは日系2世特有の日本語に広島弁イントネーションが混じっていた。

アメリカ北部、五大湖の近くの田舎町になぜ日系の人が? 
経緯は話そうとはしなかったが太平洋戦争中はワイオミングの日系人収容所に収容されたと話してくれた。

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その頃、『ノー・ノー・ボーイ』(晶文社)という日系2世ジョン・オカダが書いた小説を読んでいた。
戦中、戦後の日系人社会を描いた脚本を書きたく、日本人移民史、新藤兼人の実姉(広島の山間部からカリフォルニアに移住)を描いたノンフィクション、新田次郎の白虎隊の残党がカナダのバンクーバー島に渡り、漁業者となって生きている姿を描いた小説などを読み、触発されていた。

『ノー・ノー・ボーイ』は主人公のイチローが刑期を終え、終戦直後のシアトルの街へ戻ってきたところから始まる。
太平洋戦争が始まり、米西部沿岸州に住む日系人及びその家族は財産を没収されロッキー山脈の走る内陸部の各州に建てられた収容所へと送られた。
米政府はその収容所内で日系人に対してアメリカへの忠誠度を計るための面接をした。
「合衆国軍隊に進んで奉仕をする用意はあるか?」「日本国天皇やいかなる外国の政府に対しても忠誠を示さず服従もしないと誓えるか?」
この2つの要項に対し「ノー」と答えた日系人は不忠誠組とされ刑務所に送られた。

イチローのような不忠誠組とは違い、アメリカでの日系人のプレゼンスや家族を守るために志願して戦地に赴く者が当然いた。
ヨーロッパ戦線で勇敢な戦いぶりで功績を残した日系人442部隊は有名だが、それは数多くの犠牲者の上に成り立っている。

対日本軍の戦士として太平洋の島々や東南アジアに送られた、2つ母国の狭間に立った日系人の葛藤は計り知れない。
兄が日本兵として弟が米兵として戦ったケースも少なくない。

ノー・ノー・ボーイとして帰ってきたイチロー、同じ日系人からの軽蔑と憎悪の眼差しの中で戦後のアメリカを生きてゆく。
狂信的に神国日本を崇めてたわけでもなく、生まれ育った母国アメリカを否定したわけでもなかった。
自分が日系人であることとアメリカ国民であることの狭間に置かれたがゆえに「自分はいったい何者なのか」という自己のアイデンティティーの危機を抱えながらのイチローの戦後を綴っている。
  
         *      *      *      *      *      *      *      *    

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香港の許鞍華監督作品『客途秋恨』の撮影の詳細はこちらで書いています。
この映画は許鞍華(アン・ホイ)監督の自伝的作品。

アンの母親は一家が満州から引き揚げるさなか、甥が生死を彷徨う病魔におそわれた。
その時に真摯に日本人の引揚者たちに対応してくれた国民党軍の通訳の将校と出逢い、彼女の母はそのまま大陸へ残ることを決心する。

常に日本人である母に反発していた彼女は、日本という国と香港という母国の間に立つ、かかしだったかもしれない。
初めて訪れた母の生まれ育った別府の町、初めて聞いた父と母の出逢いの話、揺れ動いていた彼女のアイデンティティーの方向性を見つけた旅だったかもしれない。

撮影中も後も映画ではなく、実際のアン・ホイ自身のアイデンティティーについては訊くことはできなかった。

終戦から65年がたった。 今まで過去を語らなかった80歳を超えた老人たちが消し去りたい遠い日を語りはじめた。
生きていることに負い目感じてきた人も多かったかもしれない。 でも後世に残さねければいけないという使命感。 
消し去りたい過去は、明日への糧にしなければいけない。
語ることのできない声にも、そっと耳を澄まさなければいけない。
                                         ◆うちのベランダからの日暮れの風景です。 
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by w-scarecrow | 2010-08-15 09:55 | my back pages | Comments(11)
Commented by oko at 2010-08-15 16:40 x
こんな奥深い空の色を見ていたら
『消し去りたい過去は、明日への糧にしなければいけない!!』
そんな事を想わせます。
今夜はゆっくり焼酎を呑もうかなあ~~
生きることは難しい...
Commented by w-scarecrow at 2010-08-15 16:56 x
okoさん、おめでとうございます!blogを始めて今日が2周年なんですね。
毎日upをしているなんて神業です。
okoさん、お盆に入って酒と瓶詰めの日々がつづいているみたいですが、忘れたい過去は瓶に詰めて時折、覗いてみましょ。
麦焼酎はボサノバが合いますが、薩摩の芋焼酎は演歌しか合わないですも。辛い女心の歌。
Commented by hayatedani at 2010-08-15 18:55
アメリカと戦争をしたことさえ頭に無い子供や親が
日本人の半数以上を占めている今
反戦だとか戦争はダメだとかという、薄っぺらなマスコミの評論だけでは事実を後世に残すことは難しいでしょうね
自分に関係の無いことには無関心な国民
原爆や東京大空襲等で悲しい事実がたくさんあっても
アメリカ大好きの、今の子供おとな達には…
Commented by nob at 2010-08-15 20:47 x
どひゃ! 夕暮れ写真が美しすぎ~!
私もこんな感じで撮ってみたいんですが、なかなか上手くいきません。
いつもカメラのせいにしてますが、
本当はそうじゃないのは自分でもよーくわかっています(笑)
それにしても、高層のマンションにお住まいなんですか?
この辺りじゃ珍しいですよね。

そういえば、太平洋戦争を知る世代の日本人、
とうとう20%になったそうですね。
Commented by w-scarecrow at 2010-08-15 22:41 x
hayatedaniさん、イギリスへ行った時、差別を感じたことがないんです。それはイエローを含む有色人種とは一線を引いてると感じました。相手にしていないのかもって。
'70,'80年代のアメリカはもろ感じました。白人からではなく同じカラードから。
大本営の広報誌だった大マスコミ、戦中の偏向報道を一度も謝罪したことがなかったと想います。
世論調査という曖昧なデータを未だに掲げ、ワイドショー的なネタに執心しています。 彼らに報道がどれだけの影響力を持つかという意識はないと感じます。
テリー伊藤のパーフォーマンスの虚しさ、薄っぺらさがもてはやらせる時代なのかもしれません。
マーティン・ルーサー・キングのあの演説が数ある偉人のスピーチで一番心動かされた言葉だったかもしれません。
Commented by w-scarecrow at 2010-08-15 22:56 x
nobさん、写真の手前に見える建物のシルエットは3~5階建ての建物ですよ。
デジタル一眼レフのカメラの10m~17mの超ワイドレンズを使っています。
風景写真は望遠レンズがどうしても欲しくなりますが、東京の街を撮るときは超ワイドレンズが面白いですよ。
活動屋だったnobのお父さんにカメラの買い替えの時も訊いてくださいね。全て説明をしてくれると想います。
Commented by Kirara at 2010-08-16 00:24 x
白虎隊の生き残りの方が バンクーバーで漁師・・・って!!ビックリです。
戦争で人生を翻弄された人々の苦悩はいかばかりか・・・と思いますが その中でも活路を見いだし
前に進んでいった先人の強さを見習いたいと思います。
Commented by w-scarecrow at 2010-08-16 00:51 x
kiraraさん、小説の世界ですけど史実みたいです。
白虎隊の生き残りは会津には戻らず津軽、南部の青森県へ移り、世界へも散って行ったみたいです。
米西海岸の日系人は瀬戸内沿岸の県の山間部の人々、ハワイ、中南米は沖縄の人々が多く、移民史は興味深いです。
満州開拓団は米作の不安定な日本中の県から行っています。
Commented by ama7869 at 2010-08-16 11:28
なんと言っていいか解りませんが、戦争から戻り、生きる為に米軍キャンプの食堂でまかないを作っていたことのある祖父は「戦後の人生はおまけ」と。ひょうひょうとした、孫達に好かれる面白い人でしたが、死ぬ間際、病院で「死に方くらい選ばせろ」と言いました。ずっと面白い爺ちゃんだと思っていましたが、そうすることで何かを封印し、埋まらない「虚」を埋めようとしていたのかもしれないと棺の中の顔を見て思いました。祖父を思い出すと心に何か刺さってグッと痛くなります。戦争について語ることはしない人でしたが、片目は見えず、片足も不自由でした。それだけで十分色々教えてくれたと思うし、語りたくなかったのだと思います。自分に何が出来るかなんて解らないけれど、悲惨な体験がなくても小さな幸せを大事にして、それが最高だと感じることだけ出来たらいいなと思います。

↓ w-scarecrowさん、2月生まれに人気ですね(笑)
ガーネット、アクアマリン、ペリドット、シトリン、トパーズなどもアメジストと同じ半貴石と呼ばれ、同じくらいの値段なので、1月、3月、8月、10月、11月もお勧めです(笑)
貴金属店にバイト経験のある2月7日生まれより。
Commented by w-scarecrow at 2010-08-16 21:10 x
amaさんのお爺さん、敵国であった米軍の施設で働くだけでも勇気のいることだったでしょうね。
周囲の目や自分の中の抵抗感、でも家族を養わなければいけないジレンマ。
埋まらない「虚」を埋める、生きてきたなかでの時が止まってしまった年月、その時間を少しづつ埋めてきて、でも最後まで埋め尽くすことは出来なかった。
「何かを封印する」、自分のためにという発想がなかった時代を生きてきたのでしょうね。
最後まで埋められなかった「己」の空白。
僕の亡父も戦争の話は殆どしませんでした。語れないのでしょうね。
amaさんも2月生まれだったんですか!びっくり!
半貴石というんですね。学習。
僕は射手座なので1,2,3,10,11月のなかで相性の合う月を選べばいいかもしれないですね。
仙台、富山には帰省されたんですか?いいですね、どちらも魚が美味しいところで、うちは自転車で15分で帰省できるんで、なんだかなぁ~。
Commented at 2010-08-17 14:46 x
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