記憶のなかの風景
記憶のなかから決まって現れる風景がある。
坂のある路地の風景である。
坂道は途中から少し右に曲がり、その先に何があるか判らない。
子供の(今の)私はその坂の上に立っている。
坂を見下ろすように立っている。
しかし坂が曲がっていて先に何があるのか判らないので、不安になって
どうしてもその坂を降りてゆくことができない。
夢によく出てくる坂道。
東京の坂のある道を歩いていてデジャヴュのように現れる。
その坂は本当に子供の私が見た風景なのであろうか
それとも子供のころの記憶として成長してゆくなかで人工的に
作ってしまった記憶なのか。
それを確かめたかった。
長い坂の上にあった女子修道院の幼稚園。
坂の下で私がちゃんと門をくぐるまで見送ってくれていた自転車に乗った父の姿。
でも、あの坂は真っすぐにのびていた。
小さいころ、父によく連れていかれた町をあらためて歩いたことがある。
下町で手焼き煎餅屋を営んでいた伯母の家、前に堤防はあるが坂道はなかった。
母にその話をしたことがある。
ある日、母から電話がかかってきた。
もしかしたらお婆ちゃんの住んでいた国分寺から電車に乗って行った町かもしれないと。
その町はお婆ちゃんのお葬式にしか行ったことのない町。
まだ開発されていない造成地が多かった町。 幼稚園生の私は父に連れられて行った。
スタスタと自分の歩幅で歩く父を坂道で見失ったのかもしれない。
お婆ちゃんのお葬式、もしかしたら夢にみる坂道は黄昏どきのその坂道だったのかもしれない。
東京は昼間でも12℃の気温、鍋の材料を買ってきた。
きのことハマグリをいっぱい入れた。 Queen's 伊勢丹で鴨の皮だけをパックに入れて売っている。
これが、いい具合の出汁になってくれる。 雑炊が楽しみだ。
by w-scarecrow
| 2009-11-03 19:35
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