winter's scarecrow

HENRI CARTIER BRESSON

The Berlin Wall,1962
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ブレッソンのフレームの中の被写体同士のコントラスト、背景とのコントラストが好きだ。
背景にはベルリンの壁が築きあげられようとしている。
紳士がゆく、戦争で脚を失ったのか、服装からすると大戦中は将校だったのかもしれない。
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Tralee,Ireland,1951
アイルランド西部の街トラリー、大西洋からの冷たく強い海風が吹く街なのかもしれない。
防風のためか壁が延々とつづいている。
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Valencia,Spain,1933
スペイン内戦が始まる3年前のヴァレンシア、ヘミングウェーが初めてスペインを訪れたのは1925年、ピカソはパリに住んでいたが度々、母国スペインに帰国していたらしい。「ゲルニカ」は1937年、「誰が為に鐘が鳴る」は1940年に発表された。
少女の表情が何を表しているのか? 1936年から40年間つづくフランコ独裁政権の中を彼女は生きてゆく。
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Alberto Giacometti,1961
スイスの有名な彫刻家アルベルト・ジャコメッティーが雨のパリの街を濡れながら歩いている。
写真を見るかぎり大彫刻家には見えない、空腹を我慢できないような様相でユーモラスな一枚。
「走ろう!アルベルト」
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アンリ・カルティエ・ブレッソン、1908年フランスChanteloupe生まれ。
1923年頃から絵画とシュルレアリストに傾倒し絵画を学ぶ。その後、アフリカの象牙海岸で一年間を過ごし
帰国後、写真を始める。
アメリカでは映画を学び、メキシコへは民族学調査隊に参加し、1940~43年まではドイツの捕虜になるが
脱走に成功。
その後、レジスタンスに加わる。
1947年、キャパらと写真家集団『マグナム・フォト』を設立。
95歳で亡くなるまで目まぐるしいほどの多様な人生。 

この写真集は20歳のときにCalifornia大Berkley校の生協で購入した。 $60、高かった!
胸にUniversity of California,BerkleyとプリントされたTシャツも2枚買ったが、それを着てアメリカ中西部へ行くと、皆が振り返る。 田舎住まいのアメリカ人は未だCaliforniaが憧れの新天地だったようだった。
Berkley校の生徒でもないのに、インチキな優越感を味わった。

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Behind the Gare Saint-Lazare,Paris,1932
ブレッソンの有名なショット。 サン・ラザール駅前の水溜りをヒョイと跳びこえる、愉快な写真。
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Ascot,England,1955
The Queen Returns for Royal Ascotと記された新聞を頭にのせ、やるせない表情の紳士。
アスコット競馬場に散らばっているハズレ馬券。 
日本の競馬場の赤鉛筆を持ったオッチャンたちとは風格は違うがしょげた顔は一緒。
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New York,1947
ねこと語る男。 いかにもN.Y.Cらしい風景。 自分を見ているみたいだ。 デジャ・ヴュ。
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Brie,France,1968
フランス映画を観ると草原(?)の中の長い一本の並木道をよく見る。 夏は陽を避けて皆でお弁当を広げるのでしょうね。
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Liverpool,England,1962
リバプールと言えばビートルズを生んだ街、写真の1962年はビートルズがレコードデビューをした年。
殺伐とした工業地帯の街、廃墟の前をゆく3人の少女たちの歌声が聞こえそうだ。
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Resistance, banks of the Rhine,France,1944
ライン川はスイスを源としてフランスのアルザス~ドイツへと流れてゆく。
ラインに架かる鉄橋にレジスタンスの遺体。 
ブレッソンの写真は遺体ではなくとも地べたに倒れている人間の写真が多い。
このレジスタンスのショットが起因なのかと感じた。      [NEW YORK GRAPHIC SOCIETY刊]

いくつもの時代を巡り、多くの国々を駆け抜け、写真集を閉じる。
夜がだんだんと長くなってきた。 長い分だけ4杯が5杯へと量が増えてしまう。 少し控えよう。
by w-scarecrow | 2009-09-22 21:13 | そのほか | Comments(8)
Commented by thank you at 2009-09-22 23:11 x
写真のことは素人ですが、以前広島の原爆記念館で動けなくなりました。あまりにも強烈な写真。それが現実に起きたということを目の当たりにして。目をそむけると当時医学生だった姉から見るべきだと怒られました。息子がもう少し大きくなったら必ず連れて行かなくてはと思う場所です。
Commented by hayatedani at 2009-09-23 00:36
キャパの写真もそうですが、インパクトの強い被写体、
たとえば戦争や死体、瓦礫の街並や著名人なんかが、見る者の興味を引く力を持っていることは事実ですが
これらの写真を見ると、写真って「構図」なんだなぁて思ってしまいます。
一枚目の片足の男性と、銃を持つ警備兵
待機していても決して現れない構図を、出合った瞬間に一瞬で切り取る。
反戦でも何でもなく、ある意味 構図を面白がる写真家の姿がそこに見えるようなきがします。
Commented by Kirara at 2009-09-23 08:34 x
シンプルな白黒の世界だからこそ伝わってくる物があるんですよね
きっと。。。
暗室でこうした作品が浮かび上がって来たときの気持はどんなだろう。
ある種 窯から焼き物を取り出す時の感覚と似ているのかな?とおもいました。

Commented by w-scarecrow at 2009-09-23 11:18 x
Thank youさん、小学生の息子さんに原爆の被害者たちの画は衝撃が強いでしょうね。原子爆弾の兵器そのものの恐ろしさより、
知覧の特攻隊、沖縄の地上戦で命を落とした若者たちから伝わるメーッセージ、戦争そのもの酷さは感じとりやすい気がします。
子供たちには知ってほしいですよね。いつか訪ねてほしいです。
Commented by w-scarecrow at 2009-09-23 11:32 x
疾風谷さん、ベトナム戦争時、ピューリッアー賞を受賞した澤田教一の作品が幼子を抱いて川を渡る母親の写真でした。
その一枚のスナップで戦争というものが伝わってきました。
疾風谷さんのいわれるように構図だと思います。
当時の写真家がライカの35mmで深度の深い画を撮っていたように街に出るときは広い構図で撮ってみたいと思っています。
鼠志野、楽しみにしています。

Commented by w-scarecrow at 2009-09-23 11:41 x
kiraraさん、documentaryは現場では夢中でシャッターを
切っているだけで、その後の作業が楽しみなんでしょうね。
意外性の一枚が出てきたとき・・それがカメラマンたる喜び。
陶芸家が想わぬ窯変の作品が出てきたときと同じなんでしょうね。
Commented by 花子 at 2009-09-23 22:55 x
モノクロというのはカラーより多くを語るような気がします。
色に惑わされずストレートに伝わってくるからでしょうか。
捕虜になり脱出に成功、って、一言では終われない人生じゃないですか。
戦争を語る人が少なくなり、写真は大切な語り部となりますね。
Commented by w-scarecrow at 2009-09-24 09:24 x
花子さんの言われるとおり、カラーだと想像性が少なくなるのかもしれません。
目を細めて見ることはしなくなるような気がします。
ブレッソンの書いたものは読んだことがないのですが、映像が全て語っています。またupさせてもらいます。