祭りのあとの淋しさは・・
世田谷区にある北沢八幡宮の秋祭りへ。
近くに住むKさんとタコ焼きを食べ、ぬるい缶ビールを呑みながら
境内を往き交う人々を眺めていた。
陽が落ちるころになると、秋の風が心地よい。
秋祭りの頃になると想い出すことがある。
小田急線沿線のBarに一週間に一度、決まった時間に広いカウンターでひとりで呑んでいる子がいた。
30歳を少し過ぎた大きな目をした綺麗な女性。
昼間は事務の仕事をしていて、週に2度Jazzを歌っているらしい。
Live Houseではなく、どこかのお店で歌っていたみたいだ。
Nちゃんという名の子、沖縄民謡の一家に生まれたらしい。
彼女の歌う民謡を聴いたことがあるが見事だった。
沖縄返還後の幼い日、車の右側通行が夜の0時をもって左側通行に変わる日、歩道橋からその光景を眺めていたらしく、その話を昨日のことのように楽しく話していた。
米ドルから円に変わったときの戸惑いも。
それから話をする機会が多くなった。
限られた時間を目一杯楽しんでいるようだった。
Nちゃんは友達を連れて私の部屋に、沖縄料理を作りにきた。
手際よく何品も料理がテーブルに並び、泡盛で会話も弾み、うちにある沖縄民謡のCDの『東崎』(あがりざち)をかけたら、急に時間が停まったかのように、Nちゃんの目から大粒の涙が流れだした。
沖縄の言葉で与那国島の情景を謳った曲である。
Nちゃんの住んでいるマンションは普通のOLの住める部屋ではなかった。
誰かの陰を感じたが、そんなことを話題にしても美味しい酒は呑めない。
それから、7,8ヵ月後、秋風が吹きはじめた日、
「もっと、みんなと早く知り合いたかった。私、生きてきたなかで、この一年間が一番楽しかった」
水泳の岩崎恭子ちゃんみたいなことを言いだした。
「沖縄に帰ることにしたんだ・・」と、また大粒の涙を流しはじめた。
「ちょっと待って、忘れられるのイヤだから」と、カウンター席の後ろに誰もいないのを確認して、
さっと、服を着たまま、していたブラジャーを取って誰にも見えないように私に渡した。
薄い水色のブラジャー。
身のまわりを整理できたのかは判らないが、彼女に陰は消えていたように感じた。
『東崎』、、歌詞の行間に彼女の生きてきた証しがいっぱい詰まっていたのかもしれない。
宮古島出身の下地勇の"LIVE"のDVDを焼酎を呑みながら聴くことが多い。
オリジナル曲の殆どを宮古の言葉で歌うが、歌詞カードを見なくても泣けてくる。
歌う抑揚がBluesのそれに似ていて、いつの間にか南の島のゆるやかな時の流れに入り込んでいる。
by w-scarecrow
| 2009-09-08 19:54
| music